汉之云 汉之云
諸有能受持,妙法華經者,捨於清淨土,愍眾故生此。
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关于演歌,开个楼 先把知乎的回答贴来: 1990年出生。石川さゆり大姨忠实粉丝一枚。最喜欢大姨的『夫婦善哉』『人間模様』『天の川情話』『合縁坂』『波止場しぐれ』『津軽海峡・冬景色』『天城越え』『転がる石』『暖流』『うたかた』『能登半島』『大阪つばめ』『大阪のおんな』『越前竹舞い』『風の盆恋歌』『紫蘭の花』『北の女房』『朝花』『人生情け舟』『春夏秋秋』『火の国へ』『滝の白糸』『昭和夢つばめ』…… 我是听了美空ひばり女士的『川の流れのように』入演歌坑的,把她的很多歌听得很熟了才听石川大姨等其他歌手的演歌的。比如『芸道一代』『雑草の歌』『愛燦燦』『柔』『人生一路』『人生将棋』『花笠道中』『太鼓』『暗夜行路』『人生松竹梅』『裏町酒場』『港町十三番地』等。 石原詢子阿姨的歌太甜了,喜欢『みれん酒』『ふたり傘』『雨の居酒屋』『三日月情話』『女の花舞台』。 坂本冬美阿姨还是『夜桜お七』最高,也喜欢『祝い酒』『男の火祭り』。 水森かおり的『ひとり薩摩路』『大和路の恋』『ひとり長良川』『松島紀行』『安芸の宮島』『伊勢めぐり』『五能線』『まよい酒』『越後水原』都非常好。 長山洋子阿姨的歌,喜欢『じょんから女節』『たてがみ』。 藤あや子:『雪 深深』『紅い糸』 香西かおり:『酒のやど』『無言坂』 丘みどり:『佐渡の夕笛』『伊那のふる里』『鳰の湖』 小林幸子:『幸せ』 小野由紀子:『浪花節だよ人生は』 ちあきなおみ:『矢切の渡し』 千昌夫:『北国の春』 村田英雄:『王将』『無法松の一生~度胸千両入り~』 森昌子:『越冬つばめ』『哀しみ本線日本海』
关于法相 以下是印顺法师对“法相”的定义。 印顺《中观今论》:「法相,即诸法的相状、义相与体相。欲于诸法得如实知,即应于诸法相作透彻的观察。」 印顺《华雨集第四册 谈法相》:「可以这么说,佛所开示的,佛弟子所要理解的,就是法;而法的种种意义,就是法的相──种种的法相。」 以下是说“若知诸法相,正觉开慧眼”的“法相”就是上面的“法相”的意思。 印顺《华雨集第四册 谈法相》:「为什么称为佛?论上说:「知诸法自相、共相,故名为佛」。佛就是觉悟了一切法的自相、共相的圣者。这正说明了法相的重点。佛所说的五蕴、十二处、十八界、四谛、十二因缘等,使我们充分理解到这一切法,成为我们的信仰,依此而修行,达到正觉的目的。佛入灭后,佛弟子对佛法的研究,即是古代的阿毘达磨论师。阿毘达磨是研究法相,以自相、共相为法相探究的主要内容。自相,就是法的自体,例如眼,眼是什么,探究它的体性──法的体性,是从具体的法去探究的。共相,是法的通相,例如无常、无我、有漏、无漏等,是遍通到种种法的通性。」 而我老师曾经是如此解释“相”的,“相”就是“形式”,是他在某本印度学的书(我忘了书名)上找到的。 我因为恨某组织,想找王老师看看他的看法时,他说过“组织是假名啊,那是那组织里的某些人找你的碴,佛法说过只有自相相对真实(这句话我也找不到出处,明天问问他)”。 而为什么王恩洋等人没有提到小乘阿毗达摩? 我猜是因为第一当年没有电脑这东西,想要找资料很繁琐,但王恩洋的《杂集论疏》里还三次提到《俱舍》。 我猜第二是立场问题,王恩洋是学大乘的,自然就对小乘关注得少。 像吕秋逸先生那样通才,能把印度所有部派之间的复杂关系搞透的还是极少数嘛。
5ch「ニュース速報」和「ニュース速報+」的区别。 ニュース速報+板(以下ニュー速+板)はニュース全般を扱う板であり、社会・政治・国際・経済から、ネットの話題や地方ニュースまで、様々な範囲をカバーする。2001年10月17日に新設されたニュース速報板とは異なり、キャップを持った“記者”以外はスレッドを立てられない完全記者制である。略称は「ニュー速+」の他に「ν速+」「N速+」「+」などがある。 ニュースがマスメディアで報じられてからスレッドが立つまでの時間は早いが、原則としてマスメディアのソースがなければスレッドが立てられない(ただし各マスコミサイト掲載のソースでなくともかまわない。各メディアを写真にとるかスキャナでスキャンして画像をアップロードする形でも受理される)。 現在では「4日ルール」が適用されており、最初にスレが立ってから4日間(96時間)経過すると、次のスレが立てられることはない。 韓国・北朝鮮・中国に関するスレは専門の板(東アジアnews+板など)があるために規制されているとされてきたが、近年においてはその規制自体形骸化しており、所謂「何でもあり」というのが現状である。 ニュース速報板では速報性の高いニュースを扱う。通称「ν速(にゅーそく)」。他板からは「アフィ速」や「球速」「旧速」とも呼ばれる。 2ちゃんねる初期から存在する「速報性のあるニュースについて議論する掲示板」である。記者がスレを立てるニュース速報+板と違い、Beポイント10000以上の人・株主優待の人で、なおかつ忍法帖レベルが10以上の人[注 3]がスレッドを立てる事ができる(2011年3月末現在)。不適切であると運営側が判断したスレを立てるとポイントが減らされる(saku)。[注 4]一般の投稿者がbeポイントを消費してスレッドを止める機能(!vip2:stop:)およびそれを止める機能(!vip2:heal:)もある。 多数のネタが発祥した地としても知られており、有名な「田代祭」もこの板を中心に行われた。また実況chやニュー速VIP等の今や2chの代表ともいえる数多くの板を生み出す母体となった板でもある。 ニュース速報(VIP)板の開設で一時は書き込み数が2ちゃんねるトップ10以下になっていたが、2009年頃からは回復し始め、2011年には1日の書き込み数が過去最高となり1位になることが増えていた。 しかし、2012年1月から2ちゃんねる系まとめサイトへの反感からニュース速報(嫌儲)板へ移住する者が大量に発生し、トップ10以下どころか100位以下となり同年2月には120~130位まで落ちる。 スクリプト対策のため書き込みにもBEとLv.3以上の忍法帖が必要になり、人数こそ少ないものの板は機能している。
宇井伯寿真的好厉害。 インド哲学仏教学研究室:研究室一覧TEL:03-5841-3754FAX:03-5841-3754 本学におけるインド哲学仏教学研究(通称「印哲」)は、明治12(1879)年に原担山が和漢文学科の講師として仏書講義を開講したのに遡る。その後、西洋のサンスクリット語(梵語)研究や、英独に留学した研究者などの影響を受け、研究領域は、古典中国語を通じた仏教研究から、サンスクリット語やパーリ語原典を用いた研究、さらには仏教以外のインド哲学をも包含するまでに発展する。本学における印度哲学講座の創設は大正6(1917)年。 研究者としては、漢訳仏典の底本として国際的に名高い『大正新脩大蔵経』の編集に携わった高楠順次郎のほか、わが国のインド哲学仏教学研究の基礎を確立した宇井伯寿、精緻なインド哲学仏教を基礎に、広く比較思想にまで研究領域を拡げた中村元などの文化勲章受章者も輩出した。 現在のインド哲学仏教学研究室は、インド哲学、ならびに、インド仏教・チベット仏教・中国仏教・日本仏教などの仏教学を主要な研究領域としている。これらの諸領域は哲学・倫理学、歴史学、宗教学、中国哲学などの分野とも関わり、研究は自ずと学際的要素を含むことになる。本研究室は、先達の学風を継承し、一次資料である古典文献の解読を研究の基本に据えており、そのため学部教育においては、サンスクリット語文法が必修となっているほか、パーリ語、チベット語、中国語など、専門領域に応じた語学の習得が求められている。また、卒論に替え、サンスクリット語などの古典を原書で講読する特別演習を履修する者が多い。過半数は大学院に進学し、学部と大学院との連続性を重んじた教育を行っているのが特徴だ。 韓国、中国、台湾などのアジア諸国のほか、欧米からの留学生が大学院学生のおよそ4分の1を占め、研究室は国際的雰囲気に包まれている。仏教の起源や思想、インド哲学諸派との論争を通した相互の思想展開、日本文化のルーツとしての仏教への関心、さらには宗教的な求道心など、学生たちの研究契機や関心事は多様だが、原典の綿密な読解を通じてテキスト内容を深く味わう基本姿勢を大切にしている。長い伝統に培われた宗教的、仏教的なものに触れる機会に溢れ、また難解なインド哲学文献や仏典などが自力で読めるようになる喜び・手ごたえは何ものにもかえがたく、この学問を進めていく上での大きな魅力になっている。
《中论·观去来品》中的从观去来而证明一切事物都没有实在性 首先把颂子列出来,颂子是古印度的龙树菩萨写的。 中論觀去來品第二 龍樹菩薩造 姚秦三藏鳩摩羅什譯 已去無有去  未去亦無去  離已去未去  去時亦無去 動處則有去  此中有去時  非已去未去  是故去時去 云何於去時  而當有去法  若離於去法  去時不可得 若言去時去  是人則有咎  離去有去時  去時獨去故 若去時有去  則有二種去  一謂為去時  二謂去時去 若有二去法  則有二去者  以離於去者  去法不可得 若離於去者  去法不可得  以無去法故  何得有去者 去者則不去  不去者不去  離去不去者  無第三去者 若言去者去  云何有此義  若離於去法  去者不可得 若去者有去  則有二種去  一謂去者去  二謂去法去 若謂去者去  是人則有咎  離去有去者  說去者有去 已去中無發  未去中無發  去時中無發  何處當有發 未發無去時  亦無有已去  是二應有發  未去何有發 無去無未去  亦復無去時  一切無有發  何故而分別 去者則不住  不去者不住  離去不去者  何有第三住 去者若當住  云何有此義  若當離於去  去者不可得 去未去無住  去時亦無住  所有行止法  皆同於去義 去法即去者  是事則不然  去法異去者  是事亦不然 若謂於去法  即為是去者  作者及作業  是事則為一 若謂於去法  有異於去者  離去者有去  離去有去者 去去者是二  若一異法成  二門俱不成  云何當有成 因去知去者  不能用是去  先無有去法  故無去者去 因去知去者  不能用異去  於一去者中  不得二去故 決定有去者  不能用三去  不決定去者  亦不用三去 去法定不定  去者不用三  是故去去者  所去處皆無
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