威廉·唐·罗宾 威廉·唐·罗宾
请在墓地插一枝弱柳,我喜欢它那忧伤的枝叶……——《亚森·罗平的隐情》日光游戏
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自训佐藤一齊《贈三谷恂甫序》,如有错误请指教 http://tieba.baidu.com/mo/q/checkurl?url=https%3A%2F%2Fwww.bilibili.com%2Fread%2Fcv878122&urlrefer=2be4169ba6a916cccf59971e0ca9307b 三谷恂甫は、奧人(おうじん)なり。往年其れ江都(えど)に來(き)たり、司成公社の籍に入り、余に就學すること數年なり、既而(すで)に奧(むつ)に歸り、妻を取(めと)りて一女(いちぢよ)を得る。志すところ有り、牴牾(ていご)多し。一旦奮然として自ら謂ふ:「丈夫(ぢやうふ)豈(あに)小成に安(やすん)じ、鄉閭(きやうりよ)に老(お)ゆべきや?」と。乃ちその妻子をその友に托し、再び都に趨(おもむ)き余居(わがきよ)に投(とう)ず。又た數年、則ち學に進益有り。遂に書堂を城南に築(きづ)き、その得るところを以て生徒諸侯大夫に教授し、亦た往往にして業(げふ)を請ふ者有り、頗(すこぶる)能く一家(いつか)と成す。 今年の癸酉(きいう)、女(むすめ)齡(よはひ)十三なり、妻則ち既に故(し)ぬ。恂甫は將に暫く旋(かへ)ると言ひ、妻女を挈(たづさ)えて復び來たり、而(しかう)して余に告別す。余は恂甫に厚きなり、一言も無しに能(あた)ふや?乃ちこれを諗(いさ)めて曰く: 人に云ふもの有り:富貴にして故鄉に歸らざるは繍(しう)を衣(き)て夜(よる)行(ゆ)くが如しと、余は以て鄙說と為すなり。夫れ鄉黨の間(あひだ)、父兄宗族の居するところ、祖塋先窀(そえいせんじゆん)の在るところ、故に將に益(ますます)その敬を聳(そび)やかし、ますますその恭を篤くし、寡約を以てこれに入り、卑遜を以てこれに從ひ、而して乃ち颺颺然たり、徒だその趨從を盛(さか)し、その富榮を飾り、以て鄉人に誇衒するは、惡(いづく)んぞ能く者(ひと)に鄙(いやし)まれざるや?且夫(かつそ)れ君子自ら文繡(ぶんしう)有り、人は思はざるのみ。孟子(まうし)云はざるや:『令聞廣譽身に施す。人の文繡を願はざる所以なり』と。夫れ黼黻(ふふつ)に非(あら)ずとも人はこれを敬(うやま)ひ、華裘に非ずとも人はこれを尊(たうと)び、賁育はこれを奪ふこと能はず、趙孟はこれを賤(いやし)むこと能はず、惟だ譽を聞きて然りと為し、而(しか)るに其れこれに致す所以(ゆゑん)は、躬らこれを踐行すること能(あた)ふに在るなり。その華を斂(をさ)めて乃(なんぢ)の著(ちよ)を實(みた)し、その飾を去りて乃の文に素(そ)す。詩に曰く:『錦(にしき)を衣て絅(けい)を尚(くは)ふ』と。著(あらは)ずの著(ちよ)なり。易に曰く:『白賁(はくひ)なれば、咎(とが)無し』と。文無しの文なり。此れ則ち君子は服を被(おほ)ふところを以てその美名を享ける者や?若し夫れ文繡を以て文繡と為す者、これを徒だ虛譽を聞くと謂ひ、豈(あに)令聞廣譽の謂(いひ)かな?恂甫は蓋(けだ)し堂堂たる者に類(たぐひ)するなり、余は其れ外華を去りて內美を充たさんと欲し、故(ゆゑ)に茲(ここ)において行(ゆくゆく)と特にこれを言ふ。
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