阳阳馨馨 阳阳馨馨
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日中邦交正常化40周年纪念「日本语演讲马拉松活动」 「笈… 日中邦交正常化40周年纪念「日本语演讲马拉松活动」 「笈川通信 NO.36」 2012/6/15 『日语船员』 第一话 还是死了算了 5 民间大学有趣的地方就在于当日才能领到当天要用到的教材。 无法进行事先备课。 除非是有相当经验的老手,不然估计没法在民办大学教课。 顺说,我既没专业资格也没经验。 授课当天,以校长和副校长为首,系主任、副系主任等老师们排成一排,牛逼哄哄地坐在椅子上。我就在这种氛围中开始初次授课。新上任的老师若以普通的精神状态对应这种氛围,不可能进行的很顺利。 不过,我可没在普通状态。我那是狂暴的、自暴自弃到刚刚好的一个好状态。 顺利进行也好,不顺利进行也罢,都行。 只要学生们一提问,我就马上甩给校长。校长磨磨唧唧的答不出。我看不下去,又将问题丢给副校长。 瞬间,系主任和一干教师全都一脸凝重。可能是在想:“下一个也许就是我。” 再往后,我发现,不知何时,大家都挺直了腰杆。 90分钟里,我跟学生们一起大声表达着,课上的非常成功。从那天开始,我开始描绘“总有一天要成为日语中的航海家”的梦想蓝图。 而且,我想让女友看看我这种状态,想让她重新迷上我,带着这种种报复心理,我将授课持续了下去。 [email protected] 日语翻译 『日本语航海士』 第一话 「もう、死のうか」_5 民间大学は面白いところで、その日に使う教科书はその日の朝に手渡される。 事前准备などできない。 よほどのベテランでない限り、民间で教えるのは无理なのではないだろうか。 ちなみに、仆には资格も経験もなかった。 授业初日。校长、副校长をはじめ、学部长、副学部长ら教师阵がずらりと并んで、 伟そうな态度で椅子に腰挂けていた。 そんな中での初授业。新米教师が普通の精神状态ではうまく行くはずがない。 しかし、仆は普通の精神状态でなかった。 狂ったような、自暴自弃にはちょうど良い状态だった。 うまく行くも行かぬもどうでも良かった。 学生から质问を受けるとすぐに校长に振った。校长は答えられずにモジモジ していた。それを见兼ねて副校长に振った。 その瞬间、学部长から下、教师全员の表情が昙った。「次は私かもしれない」。 そう思ったのかもしれない。 次に気づいたときには、みな背筋が伸びていた。 90分、学生と一绪に声を张り上げた授业は大成功だった。 その日、いつか日本语航海士になるという梦を描き始めた。 そして、彼女にこの姿を见せたい、そして惚れ直してもらいたい、 そういったある种の复讐心で、その后は授业を続けることになる。 日中邦交正常化40周年纪念「日本语演讲马拉松活动」 「笈川通信 NO.36」 2012/6/15 『日语船员』 第一话 还是死了算了 5 民间大学有趣的地方就在于当日才能领到当天要用到的教材。 无法进行事先备课。 除非是有相当经验的老手,不然估计没法在民办大学教课。 顺说,我既没专业资格也没经验。 授课当天,以校长和副校长为首,系主任、副系主任等老师们排成一排,牛逼哄哄地坐在椅子上。我就在这种氛围中开始初次授课。新上任的老师若以普通的精神状态对应这种氛围,不可能进行的很顺利。 不过,我可没在普通状态。我那是狂暴的、自暴自弃到刚刚好的一个好状态。 顺利进行也好,不顺利进行也罢,都行。 只要学生们一提问,我就马上甩给校长。校长磨磨唧唧的答不出。我看不下去,又将问题丢给副校长。 瞬间,系主任和一干教师全都一脸凝重。可能是在想:“下一个也许就是我。” 再往后,我发现,不知何时,大家都挺直了腰杆。 90分钟里,我跟学生们一起大声表达着,课上的非常成功。从那天开始,我开始描绘“总有一天要成为日语中的航海家”的梦想蓝图。 而且,我想让女友看看我这种状态,想让她重新迷上我,带着这种种报复心理,我将授课持续了下去。 [email protected] 日语翻译 『日本语航海士』 第一话 「もう、死のうか」_5 民间大学は面白いところで、その日に使う教科书はその日の朝に手渡される。 事前准备などできない。 よほどのベテランでない限り、民间で教えるのは无理なのではないだろうか。 ちなみに、仆には资格も経験もなかった。 授业初日。校长、副校长をはじめ、学部长、副学部长ら教师阵がずらりと并んで、 伟そうな态度で椅子に腰挂けていた。 そんな中での初授业。新米教师が普通の精神状态ではうまく行くはずがない。 しかし、仆は普通の精神状态でなかった。 狂ったような、自暴自弃にはちょうど良い状态だった。 うまく行くも行かぬもどうでも良かった。 学生から质问を受けるとすぐに校长に振った。校长は答えられずにモジモジ していた。それを见兼ねて副校长に振った。 その瞬间、学部长から下、教师全员の表情が昙った。「次は私かもしれない」。 そう思ったのかもしれない。 次に気づいたときには、みな背筋が伸びていた。 90分、学生と一绪に声を张り上げた授业は大成功だった。 その日、いつか日本语航海士になるという梦を描き始めた。 そして、彼女にこの姿を见せたい、そして惚れ直してもらいたい、 そういったある种の复讐心で、その后は授业を続けることになる。
一番专题(笈川通信)笈川乐谱的诞生 4 「笈川通信 NO.51」 2012/11/2 『日语船员』 第五话 笈川乐谱的诞生 4 我很尊敬一位名叫斋藤一人的先生。 ”眼下正在干的工作很忙,所以,我找不到适合我的、应该做的事。我该怎么办? “如此烦恼时,他这样对我说道:” 你现在做的事就是你的天职啊,它只是被冠以‘工作’这种称谓。 被工作诉求着,拼命努力去做,它自然会变成你的天职。“ 我本来觉得纠正发音很麻烦,认真做过之后,发音指导比任何人做的都好。 还开发了”乐谱“。 我没想靠它向有关部门索要研究费,也不打算靠这个”乐谱“来赚钱。 被工作所诉求,认真践行了它,于是,”乐谱“诞生了。 不久后,不单是中国的学子,如果它能映入全世界日语学子们的眼帘,并被慎重对待,那真是无上的至福。 待续 ● 日语翻译 『日本语航海士』 第五话 「笈川楽谱诞生」_4 仆が尊敬している人に斎藤一人さんという方がいる。 彼は、「今やっている仕事が忙しいから、天职を见つけられない。 どうすれば良いか」という悩みに対してこう言った。 「今やっている仕事が天职だよ。仕事というのは呼ばれるものなんだ。仕事に呼ばれて、それを一生悬命にやると、自然と天职になっていく」と。 本来なら面倒臭いはずの発音矫正を、仆は真剣にやったことで、谁よりも上手に発音指导ができるようになった。 おまけに「楽谱」まで开発することができた。 别に国の机関から研究费をもらったわけではない。 それにこれからこの「楽谱」で储けるつもりもない。 仕事に呼ばれ、それを真面目にやった结果生まれた「楽谱」。 近い将来、中国人学习者だけでなく、世界中の日本语学习者たちの目に留まり、大切にしてもらえるならこの上ない幸せだ。 つづく
一番专题(笈川通信)风俗店的妈妈桑5 日中邦交正常化 40 周年 纪 念「日本 语 演 讲马 拉松活 动 」 「笈川通信 NO.41 」 2012/7/27 『日 语 船 员 』第三话从地狱深处慢慢地 1 上次我写了“梦想破灭、家庭和工作也都不顺利”的地狱景象。但其实,我并没有比别人惨。我没破产,也没有给亲戚当借款保证人最后却被人骗,更没有被人杀父杀母杀孩子。我只是自怜自艾,擅自将那些称作地狱罢了。 地狱……。 什么都没了,心沉到地狱深处。从如此判断的那个瞬间到现在,五年间冷掉的脑子终于慢慢开始转起来了……。 这无所谓的人生。我下决心不再计较悲喜、干脆痛痛快快的活。推翻至今为止的价值观,是因为想抽醒过去的自己。然后,接受妈妈桑减薪宣告的第二天,我就立刻奔北京郊外的民间大学而去了。 虽然自己来说有点那什么,不过我好像还挺擅长应对中国的面试的。 在笑声不断的气氛中,我们一边啜着福建高级茶一边海阔天空地闲聊。聊了一会后,对方说:”不好意思我还有个会要开。啊,你明儿就来上班吧。“今天的谈判也成功了。此后,不管我走到哪,都能立刻接到新工作。 未完待续 ● 日 语 翻 译 『日本语航海士』 第三话  「地狱の底からゆっくりと」_1 前回は、梦が破れ、家庭も仕事もうまくいかない状况を地狱だと书いたが、 谁かと比べて不幸だったわけでもない。自己破产はしてない。 亲友の借金の保证人になって、结果裏切られたわけでもない。 亲や子を杀されたこともない。 ただ、自分の物差しで计ってみて、そこが地狱だと胜手に思っただけだ。 地狱…。 仆の心が、すべてを失い、地狱の底に落ちてしまったと 判断したその瞬间、5年间フリーズしていた头をゆっくりと动かし始めた…。 どうでもいい人生。一喜一忧の损得勘定をやめ、思い切り损して生きて やろうと心に决めた。これまでの価値観をひっくり返したのは、过去の 自分を殴りつけてやりたかったからだ。 そして、ママさんからの减给宣告を受けた翌日、さっそく北京郊外の 民间大学へ足を运んでみた。 自分で言うのもなんだが、どうやら中国では面接が得意のようだ。 笑いの绝えない雰囲気の中、勧められた福建省の高级茶をすすりながら どうでもよい世间话に花を咲かせた。ある程度时间になると、 「会议があるから失礼するわ。あっ、明日から来てちょうだいね」と言われ、 今日も交渉成立。 それからは、次から次へどこへ行ってもすぐ新しい仕事が舞い込んできた。 つづく
一番专题(笈川通信)风俗店的妈妈桑4 日中邦交正常化 40 周年 纪 念「日本 语 演 讲马 拉松活 动 」 「笈川通信 NO.40 2 012/7/20 『日 语 船 员 』 第二话 风俗店的妈妈桑 4 打小我就梦想着成为相声演员。 我当上了相声演员,却不知接下来该做什么。 之后,大概5年吧,脑中的梦想冷却了。 不得不混口饭吃,于是舍弃梦想逃往中国,却突然被女友宣告分手,刚找了个工作走上轨道,薪水又变成以前的九分之一。 梦想、家庭、工作,全都陷入最糟的局面,我想,这就是活生生的地狱吧。 这就是我在中国的生活,我的开始。 我一直藐视世间、藐视周围的人,31岁的我,终于得到报应了。 然而,不可思议的是,五年间冷却掉的大脑,在那天开始有所行动。 未完待续 ● 日 语 翻 译 『日本语航海士』 第二话 「スナックのママさん」_3 子どもの顷から漫才师になるのが梦だった。 漫才师になった瞬间、次に何をしたら良いのかわからなくなった。 それで、约5年间も头がフリーズしていた。 食っていけないからと梦を投げ舍て、中国に逃げるようにやってきたが、 いきなり彼女から别れの宣告を受け、轨道に乗りそうだった仕事でも、9分の1に减给。 梦、家庭、仕事、すべてが最悪な状况に陥り、ここは生き地狱かと思った。 これが、仆の中国生活のスタートだった。 世间を舐め、周囲の人たちを舐め続けてきた报いが、31歳の仆を袭ったのだ。 しかし、不思议な事に、5年间フリーズしていた头が、この日、动き出した。 つづく
一番专题(笈川通信)风俗店的妈妈桑 日中邦交正常化 40 周年 纪 念「日本 语 演 讲马 拉松活 动 」 「笈川通信 NO.39 」 2012/7/13 『日 语 船 员 』 第二话 风俗店的妈妈桑 3 新学期开始后,感觉每天都在和新的系主任起冲突,伯母每次都会告诉我中国的情况是怎样的。 校办公室里,员工大换血。 漂亮的大姐们齐齐亮相,甚至让人有种身处某俱乐部的错觉。 新的系主任不久前还是某风俗店的妈妈桑,也难怪会给人这种感觉。 关系不错的同事和办公室里的员工们眨眼间都不在了,店里的大姐们布好阵仗,我成了孤家寡人。 之后,终于轮到我被点名。嗯,妈妈桑说:“我们给不了你那么高的薪水。以后都别来了。唔,你要乐意每周来一次的话,相应的薪水到是能支付。真要命,跟雇中国人比起来,日本人1小时要5块还是太高了,让人窝火。啊,事儿说完了,你走吧。” 之前的合同被狠狠撕碎。从那天开始,我的收入就变成了以前的九分之一。 按照五月签订的合约,我的薪水是月结的,没必要考虑时薪这码事,然而以那天为分界线,我成了拿时薪的被雇佣者。 哎呀,照理说,在中国到成了拿时薪的雇员,还不如回日本去发展呢。 连这么简单的事都料不到,我动摇了。 未完待续 ● 日 语 翻 译 『日本语航海士』 第二话 「スナックのママさん」_3 新学期が始まってからは毎日のように新しい学部长とぶつかったが、 おばさんはそのたびに中国の事情を教えてくれた。 学校の事务室にいた职员は総入れ替え。 どこかのクラブかと错覚するほどきれいなお姉さんたちが揃っていた。 それもそのはず、新しい学部长は、ついこの间までスナックのママさんだったのだから。 仲の良かった同僚も、事务室の职员もあっというまに消え、 スナックのお姉さんたちが阵取り、あとは仆ひとりになった。 そして、ついに呼び出された。そう、ママさんに 「あんたにはそんなに高い给料を出せないからね。もう学校に来なくて良いよ。 まあ、周一回ぐらいは来れば。その分だけ给料を出してあげるから。 まったく、日本人は中国人より1时间に5元も高いのが癪なんだけどね。 あっ、もう良いよ、帰って」 目の前で契约书を思い切り破られ、その日、収入が9分の1になることが决まった。 5月に交わした契约では月给制だったので、时给を考える必要はなかったが、 その日を境に、仆の身分は日雇い労働者へと変わった。 いやあ、中国で日雇い労働者になるより、日本に帰ったほうがずっとマシだったはずだ。 そんな简単なことさえ思いつかないくらい动揺していた。 つづく
一番专题(笈川通信)『日语船员』 日中邦交正常化40周年纪念「日本语演讲马拉松活动」 「笈川通信 NO.36」 2012/6/15 『日语船员』 第一话 还是死了算了 5 民间大学有趣的地方就在于当日才能领到当天要用到的教材。 无法进行事先备课。 除非是有相当经验的老手,不然估计没法在民办大学教课。 顺说,我既没专业资格也没经验。 授课当天,以校长和副校长为首,系主任、副系主任等老师们排成一排,牛逼哄哄地坐在椅子上。我就在这种氛围中开始初次授课。新上任的老师若以普通的精神状态对应这种氛围,不可能进行的很顺利。 不过,我可没在普通状态。我那是狂暴的、自暴自弃到刚刚好的一个好状态。 顺利进行也好,不顺利进行也罢,都行。 只要学生们一提问,我就马上甩给校长。校长磨磨唧唧的答不出。我看不下去,又将问题丢给副校长。 瞬间,系主任和一干教师全都一脸凝重。可能是在想:“下一个也许就是我。” 再往后,我发现,不知何时,大家都挺直了腰杆。 90分钟里,我跟学生们一起大声表达着,课上的非常成功。从那天开始,我开始描绘“总有一天要成为日语中的航海家”的梦想蓝图。 而且,我想让女友看看我这种状态,想让她重新迷上我,带着这种种报复心理,我将授课持续了下去。 [email protected] 日语翻译 『日本语航海士』 第一话 「もう、死のうか」_5 民间大学は面白いところで、その日に使う教科书はその日の朝に手渡される。 事前准备などできない。 よほどのベテランでない限り、民间で教えるのは无理なのではないだろうか。 ちなみに、仆には资格も経験もなかった。 授业初日。校长、副校长をはじめ、学部长、副学部长ら教师阵がずらりと并んで、 伟そうな态度で椅子に腰挂けていた。 そんな中での初授业。新米教师が普通の精神状态ではうまく行くはずがない。 しかし、仆は普通の精神状态でなかった。 狂ったような、自暴自弃にはちょうど良い状态だった。 うまく行くも行かぬもどうでも良かった。 学生から质问を受けるとすぐに校长に振った。校长は答えられずにモジモジ していた。それを见兼ねて副校长に振った。 その瞬间、学部长から下、教师全员の表情が昙った。「次は私かもしれない」。 そう思ったのかもしれない。 次に気づいたときには、みな背筋が伸びていた。 90分、学生と一绪に声を张り上げた授业は大成功だった。 その日、いつか日本语航海士になるという梦を描き始めた。 そして、彼女にこの姿を见せたい、そして惚れ直してもらいたい、 そういったある种の复讐心で、その后は授业を続けることになる。
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