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しかし、護は所定の出力が出なかった上、振動が大きく信頼性に欠けていた。また、機体も元となったDC-4Eが失敗作である上に、前例のない大型機の開発に技術が追いつかず電気系統を始めとする機体各部にトラブルが頻発した。機体重量も当初の予定を2割以上超過しており、運動性も劣悪で陸攻でありながら敵艦に超低空から肉薄雷撃できない、這いよれない機体であったため、「バカ烏」という不名誉な渾名が付けられた[1](ただし、この種の任務に運動性が低い大型四発機を充てること自体がそもそも間違っており、濡れ衣ともいえる)。このため長期間改修を続けながらテストされ1943年(昭和18年)には試製「深山」と正式に改称されたものの、結局6機の試作だけで不採用となった。ただし、本機の試作によって得た経験は後継の連山の設計に生かされることとなった。
所谓“深山”,试飞全面不达标,过于拉胯,主业运输机,失败
2020年09月29日 02点09分