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骑士836611736
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1995年9月3日、K-1 REVENGE IIでパトリック・スミスとデビュー戦を行い、2RKO胜ち。1998年5月24日、K-1 BRAVES '98で佐竹雅昭と対戦し、5R引き分け。1999年6月20日、K-1 BRAVES '99でカークウッド・ウォーカー(イギリス/王者)に3度目の挑戦(过去2度败退)で、5R左ミドルキックでKO胜ちしWAKO PRO世界ムエタイヘビー级王座を获得。1999年10月3日、K-1 GRAND PRIX '99 开幕戦のGP1回戦で佐竹雅昭と再戦。1Rにダウンを夺われたものの5R判定胜ち。この判定に佐竹は激怒しK-1を去ることになる。2回戦では、ミルコ・"クロ・コップ"・フィリポビッチに2RKO负け。2003年、佐竹雅昭が1994年に成し遂げた以来の、日本人として9年ぶりのK-1 GP准优胜(全试合判定胜ち)を成し遂げた。2004年5月3日、新日本プロレス所属の柴田胜頼と异种格闘技戦を行い左ハイキックで胜利。この日、记者会见で柴田と乱闘したり、试合で倒れてる柴田に攻撃(反则)したりと一度だけプロレスを体験する。2004年、K-1 GP准优胜(2年连続で决胜はレミー・ボンヤスキーに判定负け)。2005年9月23日、K-1 WORLD GP 2005 in OSAKA 开幕戦でフランソワ・"ザ・ホワイトバッファロー"・ボタに判定胜ち。2005年11月19日、K-1 WORLD GP 2005 in TOKYO 决胜戦では、1回戦のルスラン・カラエフには判定胜ちしたものの、准决胜のグラウベ・フェイトーザには后ろに下がった隙をつかれ左跳び膝蹴りでKO负け。2006年4月29日、K-1 WORLD GP 2006 in LAS VEGASでセーム・シュルトに判定负け。2006年7月30日、K-1 REVENGE 2006 K-1 WORLD GP 2006 in SAPPORO 〜アンディ・フグ七回忌追悼イベント〜でグラウベ・フェイトーザとリベンジマッチを行う。试合终了间际にダウンを夺われ判定负け。2006年9月30日、K-1 WORLD GP 2006 in OSAKA 开幕戦で、GP初出场の新锐ハリッド"ディ・ファウスト"に判定负け。2006年12月2日、K-1 WORLD GP 2006 in TOKYO 决胜戦のGPリザーブマッチでピーター・アーツにKO负け。2006年12月31日、K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!で元炮丸投げ选手ランディ・キムと対戦しKO胜ち。大晦日にようやく2006年の初胜利を挙げた。2007年3月4日、藤本佑介と対戦。藤本が有利に试合を进めたが决着が付かず延长になった。延长ラウンド、藤本の左ハイキックを受けKO负けを吃した。K-1で初めて日本人相手に负けた试合となった。2007年8月5日、K-1 WORLD GP 2007 IN HONG KONGで开催されたASIA GPへ出场。1回戦でパク・ヨンスのローキックが二度も股间に当たり深刻なダメージを负うもKO胜ち(相手が失神している中、さらに追い讨ちをかけようとするという、今までの武蔵では见たことの无い行为があった)。准决胜でも王强のヒザが股间に当たりセコンドからタオルが投入されるが、「相手の反则による休憩中のタオルは无効」と裁定され続行。この休憩中に王强がリングを出たため试合放弃と见なされ武蔵の胜利。だがドクターストップがかかり决胜には王强が进出した。2007年9月29日のK-1 WORLD GP 2007 IN SEOUL FINAL16へ主催者推荐枠での出场に最后の望みを寄せていたものの、泽屋敷纯一が同枠で出场することになり、6年ぶりに本大会から姿を消す事となった。2007年12月8日、K-1 WORLD GP 2007 FINALのスーパーファイトでデビッド・ダンクレイドと対戦。1R终了间际に左ミドルキックでKO胜ち。2007年12月31日、「K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!」でベルナール・アッカと対戦。1R开始直后にアッカのラッシュで防戦一方となる场面もあったが、3Rカウンターの左フックでKO胜ち。2008年4月13日、K-1 WORLD GP 2008 IN YOKOHAMAで泽屋敷纯一と対戦し、3ダウンを夺いKO胜ち。2008年6月29日、K-1 WORLD GP 2008 IN FUKUOKAで行われたK-1 JAPAN GPに出场。1回戦で前田庆次郎と対戦し、判定负け。2008年9月27日、K-1 WORLD GP 2008 IN SEOUL FINAL16でエヴェルトン・テイシェイラと対戦し、判定负け。
2008年10月22日 15点10分
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