【资料】周刊清春39x(日文,全)
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night727 楼主
一楼百度
2008年08月09日 16点08分 1
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night727 楼主
第一回---お疲れさまです。「いえいえ、疲れてなんかないっすよ。ぜんぜん、大丈夫です」---いえいえ、ご挨拶までに口にしただけでございまして。「あら(笑)」---まずは、说明から。「どうぞ」---今周からですね、『周刊清春39X』の名のもとに毎周、清春さんと一绪に日々の出来事や、话题の事件や気になるトピックスを语り合っていきたいな、と。「はい」---よろしいですか?「どうぞ(笑)」---それじゃ、これから毎周、ガンガンに突っ走っていこうと思っているわけですけども、とりあえず、女性自身の読者のみなさんに近况报告から、おっぱじめてみましょうか。「近况といっても、ライブやってレコーディングやっての缲り返しですか。この数年、ずっと変わらない活动状况ではあります」---そうそう、そのライブといえば、近顷はやたらと演奏时间が长くなりましたよね。だいたい、ロックミュージシャンのライブというのは长くて2时间半ぐらいなもんでしょ。なのに、清春さんの场合、平気で3时间半ぐらいやっているもんね。「いや、4时间を超えるときもあるよ。本当は常に、平気で4时间くらい歌い続けたいんだけど、地域の会场によっては帰りのアクセスの问题で家に戻れなくなっちゃうファンの子たちもいるので。いつも、名残惜しいんだけど、バイバイするしかないんで」---そういえば、この间の渋谷のライブで倒れたじゃないですか。「ああ、はい。まあ、あのときの详しい事情はまた、来周で」
2008年08月09日 16点08分 2
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night727 楼主
第2回 というわけで。「はい」 この间の渋谷のライブで倒れてしまったのでありますが。「ま、倒れたといっても、しゃがみ込んでしまったというか、バタッと倒れてしまったわけじゃないんで」 それでも、オロロちゃいましたよ。「うん、まあ、腰痛なんですよ。腰痛持ちなんです。あの时は、かなり腰の痛みを我慢していたからね。そのせいなのか、次第に横腹が张ってきて」 そりゃまた……。「ビキビキとなって。そのうち冷や汗はどんどん出てくるわ、体の奥からガタガタと寒けがしてくるわ、しまいには息もできなくなってくるし」 ええ。「これヤバいよ、と思って。とりあえず、一时休憩してステージから降りようか、とも考えたんだけど、やっぱ、やんなきゃ、歌わなきゃ、と思ったんですよ」 だから、そのまま必死に歌い続けたのでありますね。「うん」 いやでも、体は大事にしないと。「ですね。でも、ステージに上がっちゃうとねえ。まあでも、あの时はまだ38歳だったんですけど、なかなかいないっすよ、4时间もノンストップで歌い続けられる人间は」 本当に、腰は大丈夫なの?「うん、腰痛のほうはね、だいぶよくなってきているんで、あまり心配しないで」 それにしても、いつもいつもチケット代以上のパフォーマンスを见せてくれているし、素晴らしいですよ。「いえいえ。ただ、気持ち的にはチケット代の倍以上の価値あるライブはやってます」 ところで、来周からついに本腰をクイッと入れるといいますか、壮大なテーマを掲げ、清春さんと深く语り合っていきたいと思っております。「おっ、それはそれは(笑)」(続く)
2008年08月09日 16点08分 3
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night727 楼主
第3回 はてさて、今周からあるテーマを掲げて、话を进めていくわけですけども。「あ、そうでしたね」 そのテーマとは、黒梦デビューの'94年から1年ずつ、その年の出来事などを现在の清春さんがどのように解说し、今と繋げていくか。その作业をすることにより、ありきたりなヒストリー物ではない、斩新な切り口から改めて清春というアーティストの歩いてきた道を検证する企画なのです。「なるほど」 よろしいですか?「はい」 それでは早速、'94年の出来事からスタートするわけですが、この年、最大の注目だったのは、2月に行われたリレハンメル・オリンピックだったんですよね。「2月といえば、デビューの月ですね。だけど、まったくリレハンメルのことは记忆にないな」 ノルディック竞技で荻原健司さんが金メダルを获得したんですけど。「そうなんだ。でも、やっぱり荻原さんや関系者一同様には申し訳ないっスけど、ぜんぜん记忆にない。しょうがないすよね、それは。自分のことで精一杯でした。これから何とか自分が世に中に出ていくんだということで、何もかもいっぱいいっぱいでしたもん。 とにかく売れたい、どうにか売れたい、なんとしてでも売れたい、みたいなことしか考えてなかったし」 そりゃ、そうでしょうねえ。「うん。まあ、音楽どうこうというか、作品のクオリティとか别なところで人として希望と野望がめちゃめちゃ涡巻いていた时期だしね。极端な话になってしまいますが、仆、カッコよければ、楽曲がよかろうが悪かろうが売れると思ってたんですよ。自分がカッコよければ绝対に売れるはずだ、とヘンな自信だけはありましたよね。その证拠に、あの顷、仆はとんでもないことばっかり口にしてましたから」 どういうこと?「当时、确かドリカムが200万のセールスを记录したんです。だから、デビューする前、名古屋のライブハウスを常にフルハウスにして、インディーズでは无敌状态だったときに“俺たちは201万枚売る”と言ってましたもんね(笑)」 それにしても、その根拠はどこから涌き出てきたの?「う~ん、根拠のない根拠だなあれは。若さを頼りにした根拠なのかもしれませんねぇ。いやでも、あの顷は何かしらの根拠らしきものはあったんでしょう。とりあえず、名古屋で自分らは1番になれたんだから、きっと东京でもトップを张れると信じてたんです」 全国制覇も梦じゃない、と?「ええ。自分の中では、けっこう简単に成し遂げられると信じてましたね」(続く)
2008年08月09日 16点08分 4
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night727 楼主
第4回 いやでも、なぜにそう简単に全国制覇を成し遂げられると思っちゃったんでしょうね?「たぶんねえ、今思うに、仆、岐阜出身じゃないですか。それも多治见という田舎町に住んでいたわけですよ」 ああ、はい。今年の夏に42度の猛暑を记录した町ですね。「そうです。いや、あの日、仆、いたんですよ、多治见に。ホント、暑かったです。倒れるかと思いました(笑)」 ま、それは横に置いといて。「で、多治见から岐阜に出ていって名古屋で音楽活动するというのは、多治见在住の少年からすると、壮大な梦だったんです」 多治见から名古屋までの距离が远く感じられたわけですね。「ええ、远く感じていました。だから、名古屋のライブハウスで常に満员にしていた俺からすれば、大きな目标であり梦だった名古屋制覇を実现させたのだから、その势いのまま东京も、いや、日本を制することもさして难しくないことだと思い込んじゃったんじゃないかな(笑)」 名古屋を制覇する者は、世界も制す、ということだったのでありますね。「そういうことです。それでも、现実はそんなに甘くはなかったですけど(笑)」 ところで、今の清春さんから见て'94年の清春はどのように映っていますか。「めちゃめちゃイヤな奴でした。わざとらしく爱がない発言ばかりして。うん、爱のない男でしたね」 あははははは。「いま、'94年の清春が目の前に现れたら、口もききたくないです」 ぬはははは、そんなに嫌わなくても。「屁理屈ばかり言っているはずだから、近くには来てほしくないです(笑)。最近は爱のない人间と会话を交わしたくないんですよ」 でもって、この'94年にF1の英雄、アイルトン・セナが事故死しているのですが、覚えていますか。「いやあ、レース中に事故死した事実は常识としてはインプットされていますけど、鲜明に覚えているかというと……う~ん、印象は薄いですよね」 では、同时期に次世代ハード机登场と话题になったセガサターンやプレイステーションが発売になったんですけども。「それも、残念ながら印象が浅いかな。ゲームはね、いまだに兴味がないんですよね」 それはまた、意外ですよね。レコーディングの合间にピコピコやってそうですもんね。「いえいえ、やってないんです。ゲーム机で游びたいとか、楽しもうとか、思ったことがありません。まあ、うちの奥さんや娘たちは普通に楽しんでいるみたいですけど」 まあでも、前回も言っていたように、社会情势のことよりも、自分のことで精一杯だったんでしょうね。なにせ、デビューした年ですから。「ええ、1年という月日があっという间に过ぎ去った気がしますね。なんだか凄く凝缩された1年间だったような……。普通はね、徐々に活动の幅を広げたりするんでしょうけど、仆は幸运なことにデビューの年に大抵のことは経験させてもらいましたから。たとえば、有名なテレビの音楽番组に出演させてもらったりだとか」(続く)
2008年08月09日 16点08分 5
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night727 楼主
第5回 当时は、えっと、どんな音楽番组に出演していましたっけ?「ん~『ミュージックステーション』とか。なんせ、デビュー曲を歌わせてもらいましたからね。当时のレコード会社だった东芝EMIの大プッシュだったかもしれませんけど、けっこうね、とてもラッキーな滑り出しでしたよね」 初めて『ミュージックステーション』でデビュー曲を披露した时は紧张しました?「もちろん。えらい紧张でした(笑)」 あの顷は、他に谁が出演してたんだろ?「普通に、光GENJIがいました」 おおおお、その时代でしたねえ。でも、清春さんのことだから、大紧张してたと言っても、それなりに平然と歌ってたんでしょ?「いえ、そんなことないです。めちゃめちゃアガってたのを忆えてます。まあ、あの顷はメークも浓かったんで、动揺してても表情がわかりませんでしたが(笑)」 タモリさんとの络みはどうでしたか。「それなりに普通に。あっ、本物のタモリさんが隣にいる、みたいな感じでした。すごく良い人でした」 そういえば、今はどうか知りませんが、あの顷は出演者に箱形のティッシュペーパーを配ってたんですよね。「そうそう、そうですよ。帰りにもらってました。『ミュージックステーション』のロゴが入ったやつね。あー懐かしいなあ」 でもって、当时の私生活はどんな感じだったのかな。「とにかく鲜明に忆えているのが、六本木の夜の妖しさ(笑)。あのですね、黒梦ってウドー音楽事务所が初めてLIVEやTOURを手挂けた日本のアーティストだったんですよ」 えっ、そうだったの。ウドーって、あの大物外国人アーティストの招聘元として有名なウドーさんでしょ。「うん。当时は大々的にどこも“日本初のウドー・アーティスト诞生”だと话题にしてくれませんでしたけど。当时の舞台监督は、今でもずっと仆とTOUR回ってますよ」 そうか、なるほどねえ。「いやだから、ウドーさんの接待というわけじゃないんだろうけど、いろいろと夜の六本木のお店に连れていってもらってたんです」 おおおお、だんだんと大人の游びを覚えていったわけですね。「いや、それが驯れなかったんですよ。最初の顷は刺激的だったけど、次第に足が向かなくなりましたね。でも、最初に连れて行ってもらった六本木の高级クラブは凄かったなあ。これが东京か! と思いましたもん(笑)」(続く)
2008年08月09日 16点08分 6
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night727 楼主
第6回 六本木の夜の华やかさとキラビヤカさに、クラッときちゃったのですね。「というか、その最高级クラブに1歩、足を踏み込んだ瞬间に、バニーガールが3人ほどいて、二コッと微笑まれたとき、なぜだか、もういいやと思っちゃいましたね」 だけど、とりあえずデビューしたばかりとはいえ、テレビ出演も果たし、人気も出てきたわけだから、毎日が楽しかったんじゃないですか。「いや、そうでもなかったです。あの顷はまだ、収入もそんなになかったし。自由に使えるお金が多くなかったんです。だいたい、东京に出てきて最初に住んでいたアパートなんか家赁7万円ぐらいのとこだったしな」 场所は?「西小山でしたねえ」 お风吕付き?「ええ、ユニットバスで。二阶建てのアパートでした。仆が205号室、もうひとりのメンバーが105号室で」 つつましい时代だったね、それは。「ねえ。まあでも、あの顷はすでに黒梦でシングルなりアルバムでチャートの1位を获ったら、胜ち逃げじゃないですけど、バンドを辞めて何か别のことをやろうと考えてました(笑)」 なんで?「もう、いいかな、と思って。とにかく気力も体力も持たないと感じてたんです。そうだな、当时まだ20歳ぐらいのデビューだったらね、そんなふうには思わなかったでしょうけど、25歳になってたし。このメークでこのバンド名で、限られたジャンルの中では绝対に1番になれるという自信はあったんですが、その1番をずっと持続させるのは、难しいだろうな、と思ってたんですよ」 でも、辞めたあとのビジョンのようなものは、见えていなかったんでしょう?「ないよ。见えてなかったからこそ、日々押し寄せてくる仕事に取り组んでるうちに、ちょっとずつ辞めたいという気持ちが萎えていき、今度は落ちたくないって思うようになったね」 ああ、わかるね、その気持ちの推移は。「うん」 自分の音楽が受け入れられている、そしてツアーでも多くのファンが诘めかけてきている现実を目の当たりにしてしまったら、なかなかすっぱりと辞めようとは思わなくなりますよ。それが人间じゃないですか。「かもしれないですねえ」 そんでもって、デビュー2年目となる'95年に话を移していくのですが、これがまた、大変な年だったんです。「ああ、そうでしたね」 なにせもう、阪神淡路大震灾とオウム事件のダブルパンチ。日本列岛が暗く重たい空気に包まれた1年でしたから。「辛かったですよね、あの年は。神戸在住のファンの方からも“家が溃れちゃった”みたいな手纸をいただいたりして」 でね、この年のもうひとつの象徴としてはですよ、CD効果といいますか、バンバンと有名アーティストのみなさんがミリオン・セラーを连発していたんです。「そう。いやあ、ミリオン连発状态を横目で见ながら、うらやましいな、と思ってました(笑)」 いやでも、黒梦も当时は相当な売上げ枚数を记录していたんじゃないですか。「いや、実际はそんなにたいしたことなかったです」(続く)
2008年08月09日 16点08分 7
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night727 楼主
第7回 ちなみに、ファーストアルバムは枚数的にどれくらい売れたのですか。「确か5万枚ぐらいしか売れなかったんじゃないですか。で、セカンドが10万枚、サードが20万枚だったかな」 凄い、倍々に伸びていったのですね。「自分でも、おかしい、と思ってました。なんでこんなにグングンいくんだって(笑)」 いや、别におかしくはないでしょ。「それはそうなんですけど。まあでも、売れていくのは嬉しかったですが、やはり当初の目论みというか、野望にはほど远いなって感じですか。デビュー前はねえ、以前の回でも言いましたけど、201万枚を売るって言ってましたから。いくら20万枚という记录を出しても、桁が违う、数字の○が1コ足りないな、と思ってました」 それでもねえ。「ねえ」 今の音楽业界の现状を考えればね。「そうなんですよね。この时代にアルバムなんか、めったなことでは20万枚も売れませんから」 いや本当に、当时と比べたら考えられないくらいにCDが売れなくなりましたもんね。「もしかすると、当时はレコードショップに足を运んでCDを购入することが、オシャレに感じられていた时代だったのかもしれませんよね」 というより、简洁にいえば携帯电话やパソコンで简単に楽曲がダウンロードできるようになったからじゃないですか、CDが売れなくなったのは。「と、言うように、音楽业界の人たちも含めて、そういう指摘をする人が多いですけど、仆は违うと思っているんですよ。今も言ったように、イケてないんです、レコードショップに足を运ぶことが。もちろん、ダウンロードの影响はあります。だけど、それだけじゃないんです」 もっと具体的に言うと?「ほら、その场の空间に自分がいるってことが、なんとなくステイタスに感じられる场合があるじゃないですか。それがあの顷で言えば、外资系のレコードショップだったんですよね。なんとなく足を运んでいるうちに、気になっていたアルバムをひょいっと买ってた。でも、最近はその消费动向に変化が出てきて、みんなレンタルショップに足を运び、ウロウロしながらレンタル用のDVDやゲームソフトや书籍を眺めながら时间を溃していたりする。そうすることが心地よかったりもする。この変化って、けっこう大きいと思います」 そういえば、この间もニュースで流してましたよ。都内のある外资系のレコードショップが客足を戻すアイデアとして、CDの他にアメリカの西海岸の雑货を置くようにした、と。その雑货目当てにお客さんには足を运んでもらい、そのついでにCD関系を手に取ってもらえれば、という内容でしたね。「そういうことなんですよね」(続く)
2008年08月09日 16点08分 8
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night727 楼主
第8回 どうなんですかね。やはり日本のレコードショップも、そろそろ発想の転换は図らなければいけないのかもしれませんよね。「だと思います。もう手遅れなのかも(笑)。确か'01年にロスに行った时には、すでに向こうのメジャーなCD屋の売り场の1/4は、Tシャツやら玩具とかが取り揃えられてる雑货売り场のスペースになってたよ。お客さんも普通に、陈列されているTシャツとか购入して、ついでにCD买う感じだったですよね」 そうだったんですか。「うん。日本のレコードショップは何かと気づくのが遅かったんでしょう」 いわゆるショップに、新しい情报発信の何か付加価値を付けるということですね。「ええ、そういうことだと思います」 でも、気づけばまた盛り返せるんじゃないでしょうかね。いろんな工夫や独自のイベントをショップが展开することによって、また客足が戻る可能性は残っていると思っているんですけど。「う~ん、微妙なとこかもしんないすね、それは。ほっといても売れる时代が终わり、さて、どうするかといっても、ショップ侧に何か锐いセンスに満ち溢れたアイデアがあるとは思えないんですよね。そういう意味では、もっと悪くなる。まあ、新谱はもちろん、旧谱も売れなくなってると思いますよ」 あちゃちゃ。「ただ、仆は悲観してませんけど。昔から、そういうもんだと思ってますし。悲観するくらいなら、他の売れる道筋とか方法を考えていきたいです」 なるほどなるほど。でもって、この'95年という年はなぜかチビTシャツとか、へそ出しルックが大流行したのですが、覚えていますか。「いえ、まったく」 ぶははははははは。「ホント、一切覚えてないな(笑)」 では、デザイナーの视点から当时のチビTシャツとかへそ出しルックはどのように评価されます?「今でも着ている方をときたま见かけますけど、ちょっともう、古いっすよね。単に、あの时代だったから、珍しがられていただけで。今は、Tシャツにしろジャケットにしろ、自分の体型に合ったジャストサイズのものを着込んでいないと、カッコよく见えないですよね」 それと、この年には“裏原宿系”という言叶が生まれ、これまた流行しましたが。「ああ、流行りましたね。これは、なんとなく忆えてます(笑)」 いわゆる“裏原宿系”は好きでしたか、嫌いでしたか。「いや、好きも嫌いも、意味がわからなかったです(笑)」(続く)
2008年08月09日 16点08分 9
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night727 楼主
第9回 そうですよね、今でもちょっと意味がわからなかったりしますから、“裏原宿系”と言われても。「そうなんですよ」 まあ、わからないことはわからないままに放置しときましょうか。「はい(笑)」 では、95年に関してはこのへんで。次にデビュー3年目となる96年に突入することにいたしましょう。「ええ。いやあ、でもあの顷は、选ばれたバンドだけがデビューできた気がしますね。黒梦の同期というと、L’Arc-en-CielとかGLAYとかですからね。他は、そんなにバンドっていなかったし。それが今では惊くほどたくさんのバンドがデビューしているじゃないですか」 してますね。いやホント、バンド名も覚えられないほどに。「でしょ。仆でもバンドの名前が覚えられないですからね(笑)。でも、彼らには、いわゆるコレクターのようなファンがいるでしょうから、ビジネスと成立しているんでしょうけど」 それでは、そろそろ96年に话を进めていくわけですが。「はい」 この年の话题というと、まずは世界初のクローン羊“ドリー”が诞生したんですよ。「あっ、それは覚えてる」 よかった、覚えていてくれて。「これはねえ、でも伦理的に问题ありますからね。医学の発展のために、研究されたんでしょうが、やはり人间が神の领域に入り込んでもよいのかという问题もありますし」 そうなんですよ。だからまあ、今现在はクローン研究もストップ状态なんですけどね。「それでも先进国では、水面下で着々と研究は続けているでしょう、やっぱ(笑)」 でしょうねえ。「ねえ」 ちなみにですよ、清春さんは完璧なクローンが欲しいですか。「う~ん、それはまた微妙な突っ込みですよね。どうかな、まあ、本当に完璧なクローンであるならば、欲しいかな。それも、今の仆より10歳ほど若い29歳の“清春クローン”が欲しいです(笑)」 29Xの清春が欲しい、と? 「そいつに、キツイ仕事やらせればいいしね。明け方のレコーディングとか」 ぶはははははは。「ねえ、そういうことができるのであれば、本物の仆もそれなりに家庭サービスとかできる(笑)」 次に、この年、あの野茂英雄がノーヒットノーラン试合を达成しているのですけども。「凄かったね。凄いとしか言いようがないですよね、その快挙は」 でも、どうなんですか。メジャーの试合に関心はあったりする?「ああ、関心というか、今年はね、とくにメジャーに挑戦した桑田真澄投手の动向には心を夺われてましたよね。なにせ、仆、同年代ですし」 (続く)
2008年08月09日 16点08分 10
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night727 楼主
第10回 桑田投手は1968年4月1日生まれですから、そうか、清春さんと同じ39Xだ。「そうなんですよ。やはり、难しいと思うんです、39Xでメジャーに挑戦するというのは。体力的はもちろんですけど、気力を保ち続けるのも大変だろうし。それでも、果敢にトライして、ちゃんとマウンドに立ったわけですから、素直に凄いと思いました。彼の生き様はすべてが感动ですよね」  なにせ、キャンプ中に不虑の事故で足を故障したのにもかかわらず、不屈の闘志でリハビリを乗り越え、3Aから这い上がってきましたし、并みの精神力じゃないですよね。「ええ、素晴らしいです。あ、そうそう、そういえば、同じ39Xということで周刊ベースボールの取材を受けました」 マジっスか。「ええ」 桑田投手に関する取材で?「はい」 それはまた、同年代繋がりだとはいえ、えらく畑违いの取材を受けましたね。「いや、それが逆に新鲜で取材中は楽しかったですよ。というか、それよりなにより、仆が语った桑田投手へのエールがよかったのか、彼のファンの方からお手纸をいただいたんです、ありがとうって。そういうお手纸をいただいたことが、すごくうれしかったな」 で、この年。「はい」 何が流行ったかというと、プリクラ。「おおおおお」 撮ったことあります?「あります。ツアーとかで地方に出たときなんかに、スタッフ连中と」 その撮ったプリクラは、どのように活用していたんですか。「自然とどっかにいっちゃったし、别に活用することはなかったかな」 どっかに贴らなかったの?「いや、贴ってましたね、ちょっとの期间だけ(笑)」 あはははは、贴ってましたか。「ええ、メイクボックスとかに。でも、携帯には贴ってなかったすよ、いくらなんでも」 そこまでするのなら、携帯にも贴ってほしかったなあ。「いや、そこまではね(笑)。奥さんとも撮ったことがあるし、お互いに若かったね。わざわざプリクラの机械を探してまで撮ることはなかったけど、出向いた先にあれば、なんとなく撮ってたという感じ?」 ポーズとか取るんですか。「いえ、普通に」 イエ~イとかしないのね。「しないしない、しないです(笑)」 でもって、'96年というと、黒梦の活动的には割合と海外が多かったんですよね。「行ってました、ちょくちょくと。うん、だから、日本で起きた出来事に関しては、少しうとかったかもしれませんね。それと、この年から脱ビジュアル系を目指していたんですよね、仆は(笑)」(続く)
2008年08月09日 16点08分 11
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第11回 ともあれ、'96年は脱ビジュアル系を目指していた年だった、と。「ですね。最近のいわゆるビジュアル系と呼ばれている若いコたちのバンドが意识しているかどうかはわかりませんけど、当时の仆はビジュアル系というカテゴリーを飞び越え、世间のなかにどれだけ黒梦をアピールさせ、ひとつのブームとして确立させるかに跃起になっていましたよね。やはり、ビジュアル系から飞び出さないと、狭い世界で何人聴いてくれるかの小さい胜负になってしまいましたから。とにかくビジュアル系ではない、何かになりたかった年でした」 なるほど。「だから、いろいろと着ていた服? もちろんステージ衣装も含め、かなり変えていったし。髪形も変えたしね、当然のことながら音楽性も変えていきました。要は、なんだろう、攻め一辺倒というか、守りに入らなかった年だったのかもしれません。それまでのいろんなことを舍てて、新たに生まれ変わろうとしていた年だったような気がするなあ」 ええ。「いかにどのビジュアル系バンドより早く“いち抜け”するかが、あの顷の黒梦のすべてでしたね」 そのためには、过去をすべて舍て去ってもかまわなかったのですね。「うん。まあ、ライブではデビュー当时の曲も歌っていましたけど。结局、黒梦という名前すらイヤでイヤでしょうがなかった年だったと思う(笑)」 そりゃまた、彻底してたねえ。「确か、あの顷に受けたインタビューでは、いつも“バンド名を変えたい”と口にしていたんじゃないかな」 でも、だからといって别に新しいバンド名は考えていなかったんでしょ?「うん(笑)。まあ、当时はまだ、もうひとりのメンバーともうまくやっていたので」 ああ、はいはい。「いやだから、もっと简洁にいえば、'96年という年は身に付けることよりも、舍てるという作业に没头していた一年ですよ。新しい何かに向かってチャレンジを缲り返していた年だったんです」 髪の毛の色も変えてたし。「そうそう(笑)。青色にしてましたね」 で、この年にアルバム『FAKE STAR~I'M JUST A JAPANESE FAKE ROCKER』がリリースされたのですけど。 「ええ。たぶん、そのアルバムとシングルの『ピストル』の影响だと思うんですけど、この顷から男の子のファンが圧倒的に増えていきましたよね」 そうでしたね。「女の子のファンより、热かったですから、彼らは。よくコンサートのあとに移动のバスをバイクで追いかけてきたりして、ちょっと身の危険も感じたりしてました(笑)」(続く)
2008年08月09日 16点08分 12
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night727 楼主
第12回 さてさて、それでは'97年に突入していきましょうか。この年、话题的に取り上げるなら、そうですねえ、まずは松田圣子さんと神田正辉さんの离婚になるのかな。「あの顷、ツアーで全国を回ってて、神田さんと同じ飞行机に乗ってたことがあったなぁ。そのとき、神田さんすごくダンディで。まあ、石原军団はみなさん、ダンディですけど」 ちなみに、松田圣子さんは思い入れはないでしょ。「いえ、そんなこともないですよ。强いて言えば、离婚されたあとの圣子さんのほうが好きだなあ。アメリカに进出したり、そういうチャレンジ精神に魅かれますよね。うん、嫌いじゃないですよ」 次は、あ、そうだ。この年、サッカー日本代表が念愿のフランスワールドカップ大会に出场を果たしたんですよね。「ああ、でも、申し訳ないけど、当时も今もあまりサッカーには兴味がないんだよね(笑)」 ほんじゃ、これならどうだっ! X JAPAN解散!!「あっ、'97年でしたか」 でもって、解散はショックでしたか。「う~ん、ショックというよりも、なにかもっと上の方にあたる别次元の话のような感じでした。黒梦と比べても、活动のキャパシティが全然上でしたし。あまり身近な话题に感じることはなかったです」 YOSHIKIさんとお会いしたことは?「もちろん、デビューする前も后も、したことがあります。YOSHIKIさんはでも、世间的には头の切れる、ときにはバイオレンスなイメージを持たれているかもしれませんが、実际に话をすると、优しい人でした」 そういえば、ずいぶんとむかし、X JAPANがまだXのままだったデビュー当时に、ある男性周刊志で彼らのことをボロクソに书いたことがあるんですよ。こいつらは绝対に売れない、売れるわけがない、と。「(笑)。ひどいっすね、それは」 で、X JAPANが顶点を极めた时期に、インタビューしたことがあるんですね。「ええ」 そのときに、正直に言いましたよ、ボロクソに书いた记事のことを。そうしたら、YOSHIKIさんは爆笑しつつ『いいんです、当时の自分たちも売れるとは思っていなかったですから。あなたが书いたことは正しい』と言ってくれて。そのときに、この人はけっこう懐の広い人だな、とは感じましたね。「スケールでかいっすね、それ」(続く)
2008年08月09日 16点08分 13
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night727 楼主
第13回 それでね。「はい」 この年に流行ったのが、ババシャツらしいんですよ。「ババシャツ?」 えっとですね、いわゆるひとつの防寒用にですね、身に付けるシャツみたいなもんなんですけどね。「ええ」 兴味は?「ないです(笑)」 でしょうね。ちなみにですよ、最近は若い男子でも真冬になるとズボンの下にスパッツのようなものを履くのですが、清春さんはいくら寒くても、そんなもん履かないですよねえ?「履くわけないじゃないですか(笑)」 ですよねえ。でもって、これまたちなみにですよ、ええっと、女性とですね、そういう状况になったときに……。「ん?」 いや、ベッドの上とかね。「ああ、そういうことですか」 ええ、だからえっと、そんな状况に陥ったときに、相手がババシャツを着ていたら、気持ちが引きますか。「一绪に脱がしちゃえば、问题ないっしょ」 おおお、さすが! 素晴らしいお答え。ほんでね、'97年はむちゃくちゃライブの本数が増えていますよね。「ですね。确か'96年が50本ぐらいだったんですよ。で、'97年から100本はやろうとなって。最终的には、120本くらいはやったのかな。でもホント、楽しかったですね。日本国中、どこを回っても人が押し寄せてきたし。それは、仆が愿っていたことですから、うれしかったです」 当时は、全国ツアーの先々で観光とかしてたんでしょ?「してましたね。よく行ったのは、やっぱり京都とか奈良?」 奈良で何をするんです? 鹿と戯れていたりとか?「いえ、ただブラブラしてただけです。観光地をブラブラするのが好きだったんですよ。それでお土产とか、ガンガン买ってましたね(笑)」 ぶははははははは。「扇子とかキーホルダーを実家に送ったりとかね。奥さんの実家にも送ってました」 そこらへんの気配りは素晴らしいよね。「いや、仆はけっこう“送ってあげたい派”なんですよ、昔から。でまあ、観光とは别にその土地の古着屋はマメに回ってました。全国にあるナイスな古着屋、ほとんど知ってたね」 実际に、买うんですか。「はい、すごい量买ってた。その顷は、ビンテージのジーンズとか、スニーカー、それとか、スエットもバンバン买ってましたね。そういえば、その顷ですよ、ファッション志の表纸を饰れたのは。当时は仆みたいなジャンルのミュージシャンが表纸になるのって、ハードルが高かったんですけど、黒梦がブレークするとともに、そういうお声もかかって。たぶん、音楽性も変わってきたし、ようやく认知されたってことでしょう。ビジュアル系のままだったら、表纸にはなれなかったんだと思うし」(続く)
2008年08月09日 16点08分 14
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第15回 とりあえず、ご挨拶を「はい」 新年、明けましておめでとうございます。「はい」 今年もよろしくね、と。「仆のほうこそ、よろしく、と」 はてさて、去年はアイドルの话で终わってしまったのですが、でも、実际のところ、どうなんですかね。少女漫画の世界にありがちなロックスターとアイドルの恋爱って现実的にはありえるんでしょうか。「さあ?(笑)」 そうやって误魔化しちゃダメです。「いえ、误魔化しちゃいないっスけど、その顷はもう奥さんと同栖していたしね。纱弥加ちゃんはすごくいいコなんだけど、お互いそういう対象ではなかったし。本当にそこらへんのところは経験ないし、よくわからないですね」 なるほど。ほんじゃ次に、この年はキャミソールが爆発的に売れ、ブームになったのですけど、忆えてます? 「う~ん、微かに。いや、いいですよ」 なにが? 「キャミソール(笑)。最近は肩が见えるだけでもいいと思っちゃってます。ジジ臭い発言ですけど(笑)」 そんでこの顷というのは、清春さん的には何を考えていたのですか。 「次は、何をしようかなってところかな」 黒梦の解散は'99年なのですけども、具体的に解散の方向が决まったのは、いつ顷になるのでしょう。「それはこの年、'98年のツアー前ですね」 ふたりで话し合った结果?「そう。彼が辞めたいと言ってきたので」 そうなると、解散することがわかっていた上でツアーに出るのは、いやはや、グチャグチャな状况だったんだろうなあ。「ホント、いろいろあったよね、この顷は。この年に奥さんと入籍したしね。あとは、のちに亡くなってしまった当时のマネージャーが薬物で捕まったりだとか。それでも仆、そんな状态なのに、今の事务所を作ったんですよ。それがまた、混乱に轮をかけることになって。いや、マネージャーが捕まったということで、いろいろと助けてあげるとか言ってくれる人たちが多くてね。当时黒梦は売れていましたから。だけど、仆はそういう诱いに乗るが好きじゃなかった。いろいろ持ち込まれる话に対して、ひとつひとつ自分が“NOです”と断っていくのが、すっごくしんどかったし、面倒臭かったですよね」 それはでも、胃が痛くなる话ですね。「まあね。だけど、当时のグチャグチャした状况を経てきたからこそ、今は何があってもそんなにジタバタすることもなくなったというか……。当时に比べれば、みんないい人に见えるし(笑)」(続く)
2008年08月09日 16点08分 16
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night727 楼主
第16回 前回までの话を整理すると。「はい」 具体的に黒梦のもうひとりのメンバーだった人时さんと解散话が出てきたのは、'98年ですよね。でも、活动停止は'99年。なぜに翌年に缲り越されたのですか。「それはライブを飞ばしちゃったからだね、仆の目の病気のせいで。流行り目っていう眼球がブヨブヨになって、目ヤニで目が开かなくなる病気なんですけどね。最初は右目だけだったんです。それが徐々に左目に感染し、両目ともうまく见えなくなったんですよ。それでまあ、これはダメとなって。だから、仆が目の病 気に罹らなければ、'98年いっぱいで黒梦は活动停止になっていたはずです」 确认なんですが、そのツアーが始まる前に人时さんから、清春さんに“辞める”と言い出したわけですよね。「そうでしたね」 どのようなシチュエーションで切り出したわけですか、人时さんは。「その顷、前回でも说明しましたが、当时のマネージャーが薬物で捕まったんですね」 ええ。「そんな状况のときに、麻布のレコーディングスタジオだったかな、彼が话があるということで言い出したんです」 スタジオに设えてある革张りのソファにもたれながら?「あー、そういう感じ。スタジオの二阶の谈话室のソファに座りながら」 で、彼から“辞めたい”と告げられたときは正直、どう思った?「何言ってるんだろう、この子……という感じかなあ。ツアーが决まっているのに何を普通に言い出してんのかな、と(笑)」 ええ、はい。「それから、仆がツアーはやってもらうよ、と言って。辞めるのはいいけど、キャンセル料金発生するよ、そのお金、どうすんの? みたいな话をしましたかね」 ひゃゃああああ。それはまた、シビアな话ですよね。「そう?」 いやでも、责任はちゃんと果たさなきゃいけないことだからね。「ええ、そうですよ。百本以上のツアー飞ばすことはできないわけだし。まあ结果的には仆の目の病気で何本か延期はしちゃいましたけど」 それにしても、话を闻いていると、けっこう冷静に対処していたんですね。「う~ん、どう言えばいいんだろう。これも前、话をしましたけど、その后に当时捕まった古くからのマネージャーと会社を兴したじゃないですか。とりあえず古い会社では彼が社长だったんだけど、新会社じゃ仆が社长であり、マネージャー的な立场で动かしてたんですね。そうなると、どうしてもメンバーに対しては 决まっているスケジュールを守らせるみたいな感じにはなってきますよね」(続く)
2008年08月09日 16点08分 17
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night727 楼主
第17回 いやでも、根本的な问题としてですよ、なぜに绝顶期に人时さんは、脱退したいと思っちゃったんだろう?「仆にはよくわからないですよ」 今でも?「ですね。ただ、こういうことは考えられるかもしれないよね。あのころはやっぱ、お互いに大人でも子どもでもない中途半端な年齢だったと思うんです」 30代手前でしたからね。「そういうね、なんだろう、精神年齢的なところで成熟していたわけじゃないから、どうしても人気が上がってくると、自然に我を张ったりするわけですよ。なんつーのかな、过信してしまうんですよね。たとえば、别にバンドじゃなくても、ひとりでやっているんじゃないかと考えたり」 ああ、はいはい。「やっぱ、绝対にそうなるよね、谁でも」 结局は执着しなくなっちゃうんだ。「うん、なっちゃう」 それと、今から考えると不思议なのが、黒梦って大々的な活动停止を掲げたプロジェクトをなにひとつ発动させていないんですよ。普通はね、大挂かりな仕挂けを放ったりして最后のツアーを盛り上げようと目论んだりするわけですけども、どうして淡々とツアーを消化してそのまま停止となったのですか。「早くなにもかも终わりにしたかったからね」 活动停止のプロジェクトに时间を取られるくらいなら、一刻も早く次のステージに进みたかったのですね。「それもあったし、自分の周りに漂っていた険悪な感じの空気感から抜け出したかったからですね」 そうかあ。「この连载で何度も说明しましたけど、当时の亡くなった社长が薬物で捕まったりして、その影响というか事态の収拾に动いていたのが仆なんですね。本当に、そんな毎日から脱出したかったんです」 あの顷は、浓い毎日だったんだろうなあ。「浓すぎました(笑)。社长が逮捕されて仆が関系各位に谢りに行ったりだとか」 どんなところに谢りに行ったの?「音楽出版社とか、スポンサーや広告代理店だとか」 それはでも、ロックスターがすることじゃないでしょ。「ないっすね、今思えば。だけど、う~ん、他に行く人がいなかったんで」 でも、おかしいよ、ヘンな话だよ。「ん~、まあ、ほかにいなかったんですよ、责任ある立场の人间が。本当に、あのころの会社には役员みたいな大人の人がいなかったし」 それとまあ、ここまできたらストレートに讯ねますけどね、さっきから“停止”という言叶が出まくってますけど、そういう意味では、どうなんですか?「ん?」 勇気を振り绞って言ってしまいますが、黒梦が再び活动を再开する可能性はあったりするのですか。「ほぼないっすよ。あくまで清春ですから」(続く)
2008年08月09日 16点08分 18
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night727 楼主
第18回 そうだろうな、と思っていましたよ。あくまでも“清春は清春”という一言はすべてを言い尽くしている。でも、黒梦ってデビュー以来、ずっと落ちてないんですよね、CDの売上げ枚数もライブの动员数も。「ですね」 毎年、右肩上がりに伸びていた途中に、急にパッといなくなったというか、活动を停止してしまった。「うん」 だから、いわゆる“その先”をほんの少しだけでも见てみたい、感じてみたいというのが正直な想いとしてあるんです。「ああ。そういう意味では、黒梦ってかなり伝说に近いバンドなんだろうな、とは思います」 そうなんだよねえ、伝说なんだよなあ。とくにボクのように『CORKSCREW』('98年)からファンになった、めちゃめちゃ遅れてきた人间にとっては、黒梦を味わい尽くしていないし、いや本当に“その先”を想像しただけで心が激しく震えてしまう。まあ、清春さんが元気で気持ちよく歌ってくれれば幸せという今现在のファンからすれば、余计な话の振り方だし、胸ぐらつかまれそうな话の展开でもあるんですけどね。「まあ、再结成してるバンド多いしね」 いや、再结成したバンドはとにかくある程度は顶点を极め、活动停止しているわけです。だけど、缲り返しになりますが、まだまだ极める途中でしたから、黒梦は。「でも、仆の美学的にはピークは迎えつつあったと思いますよ。世间的にみんながスゲー知ってるってわけでもないけど、存在を知っている人はすごく好きみたいな」 违う违う、それは违うと思う。ピークなんかまったく迎えてなかったじゃないですか。「んーなるほどなぁ。でも、当时仆の周りの人间関系はピークを迎えてたもん。もうイヤでしたから(笑)」 ぶはははははは。まあ、なんにせよ、この数年间、いつも胸に引っかかっていたのは、黒梦の“その先”なんですよ。「そう言われるとすごいのかもね。ピークを迎えていないのに、横浜アリーナとかでライブをしてたんだから」 ええ。「う~ん、だからたとえば、活动を停止せずに、少しブランクを空けて再始动とかしていればね、まだ上へ上へどんどん上がっていったと思うんだよねえ。だけど、あれからもう10年という歳月が流れちゃってる。ソコですよね问题は。それともうひとつ……」 はい。「コレが仆的に一番重要なポイントになるんだけど……黒梦で新しい音楽を作れるとは思えないんですよ……」 ええ、はい。「ソコに切り崩せない大きな问题が横たわってはいるよね」(続く)
2008年08月09日 16点08分 19
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night727 楼主
第19回 でも、なぜに黒梦では新しい音楽を作れないのですか。「う~ん、そうだな、たとえばね、'98年当时のことを思い返すと、彼はほとんどレコーディングに参加しなかったんですよ。アルバム『CORKSCREW』もベースを弾くだけだった」 ええ。「ミックスも立ち会ってなかった。PVの撮影もたった一日だけニューヨークに来ただけで。どうしても黒梦の最后、あまり一绪に音楽を作らなかったという过去の事実が新しい音楽をあまり想像させないというか、うまくイメージできないのがひとつね」 ああ、なるほど、そういうことか。「あとは、たとえ黒梦を再始动させて、过去の歴史を乗り越えて新曲を作って连発してもシラけるだけだと思うしさ。结局は、昔の作品が中心でしょ。しかも、当时の想い出に引っ张られてるのみじゃないですか。それがダメなんだなあ。ミュージシャンである醍醐味というのは、新曲を作ってライブで発表して、それが いい感じにオーディエンスに受けるかどうかなんですね」 ええ、はい。「ソコがシンガーソングライターとして、いちばん重要な部分でもある。その部分を大事にしたいがために、他のシンガーソングライターの人たちも歩みを止めずに新谱を出し続けているわけでしょ。そう考えると、実绩のある黒梦ではその醍醐味は全く味わえないはずだし、重要とされる部分は再生力だけでしょ。だからまあ、仆的には再始动の可能性はほぼないっすよ」 いやもう、深く理解できました。「それとさ、いまふと思ったんですけど」 ん?「黒梦って、いわゆるバラードのヒット曲を出さずに停止しているんだよね。ほら、かつて活动していたビッグバンドはみな世间的に受け入れられる泣きの一曲があったと思うんですよ」 はいはい、ありましたね、どのバンドにも泣きの必杀技が。「けど、黒梦のヒット曲はすべてテンポの速い曲ばかり(笑)」 そういう一曲が黒梦にも欲しかった?「别に、欲しくなかった(笑)。いや、あえてそういう曲を作らなかったからね。振り返ってみると、そういう一般的に広がるバラードではヒットを出さなかったところがニクいですよねえ(笑)」 ぬははははは。「カッコ悪くならずに停止できてよかった」 まあでも、黒梦の活动停止は変えることのできない运命だったかもしれないなあ。'99年に停止したのだって、二十世纪のうちにケジメをつけようと思っていたわけじゃないですしね。「そうかもしれないですね。すべて运命だったんだよ」(続く)
2008年08月09日 16点08分 20
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night727 楼主
第20回 先周まで、いろいろと黒梦活动停止の背景と活动再开の可能性を探ってきたのですけども、そろそろ话を本筋に戻さないと。「ですね」 ま、时间轴の流れに沿えば、その后のsads结成の胎动は98年からスタートしていますが、そこらへんの话はのちほどお闻きするとして、まずは99年の出来事から话を転がしてみたいわけです。「はい」 この年、なんといっても宇多田ヒカルが大ブレイクを果たしたのが印象的でしたよね。「あーそうですねえ、ヒカルちゃん、かわいかったね」 会ったことは?「何回も。同じレコード会社だったし。彼女のラジオ番组にゲストで出たこともありますよ。彼女、ロック好きなんですよね。黒梦のTシャツを着てテレビの歌番组にも出てくれたことがあった」 そうなんだ。「ええ。」 いやでも、すげえ娘が现れたな、と思いました?「そうですねえ。でも、ヒカルちゃんが最后だったのかもね、あんなにCDが売れたのは。彼女の登场を境にして、どんどんCD自体が売れなくなったでしょ」 ボクも一回だけインタビューしたことがありますけどね、アルバム『First Love』が600万枚を売り上げた顷に。当时は本物の彼女を前にしてガラにもなくアガってしまったなあ。「紧张して?」 ええ。当时はまだ、16歳だったかな、彼女も。いやはや、小娘相手に何を闻いてよいのか头の中が真っ白になった记忆が残っているもんなあ。それにしても、大変でしたよ、インタビューにこぎつけるまでが。取材の企画书を出してから、半年间もかかったし。「ほー」 企画の方向性がうんたらかんたらって、细かいところまでチェックをいれてきたんだよね、当时の宇多田パパって。まあ、いいや、そんな话は。それでこの年のもうひとつの象徴的な出来事としては、ガングロとかヤマンバが现れてきたのでありますよ。「その顷ですか?」 です。でまあ、どうなんですか?「どうというと?」 好き? ガングロの女子高生とか。「别に、嫌いじゃないですよ」 大丈夫なの?「白いのも嫌いじゃないし」 じゃあ、なんだっていいってことじゃないですか。「(笑)」 それでも、ヤマンバは苦手でしょ?「嫌いとか苦手っていうより、う~ん、よくわからない」 だけど、ライブにガングロやヤマンバ军団が大挙押し寄せてきたら、気持ち的には引くでしょ?「いやあ、彼女たちが仆のライブに押し寄せてくることはないっすから(笑)。想像がつかないですよ」(続く)
2008年08月09日 16点08分 21
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