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part 1*TOSHIさんはネットオークションをされますか? T:以前出品をしたことがありますよ。* その时はチャリティーか何かですか? T:チャリティーだったかな。だいぶ前なんですけど。何かの企画で自分の持っているものを出品したことがあります。ちょっともう10年ぐらい前になるので、何を出したかは忘れてしまいましたが。*インターネットでモノを买ったりすることはありますか? T:インターネットでは「本」とかを买ったことがあります。*X时代」・「ソロ活动时代」そして「今」で「モノ」に対する兴味関心はどのように移っていきましたか? T:モノに対する・・・。うーん难しいなぁ。あの~、X JAPANが解散する前ですね、そう10年以上前。「X JAPANのTOSHI」として芸能界にいたときは、いろんなモノを集めてました。その当时は、ロサンゼルスで生活をしていて、车にしてもお家にしても、言ってみればステータスを、非常に求めてましたね。それはそれで本当に素晴らしかった。质の良いモノを身に付けたり、持ったり、食事をしたり、素晴らしいことでした。「物质的なクオリティーが高ければ高いほど良い」と思っていて。仆はそういう海外での生活をして、しかも若い年齢で、そういう生活がある程度できていて。それは上を见たらキリが无いですが、それなりに得てきました。でもやっぱり、どこかに「心のむなしさ」だとかを感じていて。そういう「モノ」を他人にひけらかせばひけらかすほど。普通はそのモノが「便利」だから、「质が良い」から使うんだけど、仆の场合、なんというか、「人に胜つため」で。そういう、まるで「人」まで「モノ」のように、何か自分がこう劣等感が强いものだから、他人に优越したいために、饰っている。だからモノに対しても、「素晴らしい质だから、使う」というよりは、「こんなブランドを持ってる俺はスゲェ。こんなキレイな女性を连れている俺はスゲェだろ」みたいな。「いかに自分を凄く见せるか」みたいな(笑)自分に中身が无いもんだから、外侧を饰るものとして、モノを集めていたような気がします。何か自分の内侧で、自分に自信が无いから、そういうことで、人より优越したいって思う。あるいは弱さを见せるのが「怖い」ものだから、そういう「モノ」で人に「どうだ」ってところを见せれるので、そんなような动机から「モノ」を集めていた感じがするんですね。だから「こんなすごい人知ってるんだ」「こんなすごいモノ持ってるんだ」ていうのを自分のステータスにしてて、良い悪いは别にして、自分の场合は何か、その人を爱しているんじゃなくて、「自分がスゲェだろ」っていう。そんな自分がとてもむなしくなって、今度はそういうのを舍てていく方向に、降りていくような方向に、下に下にって向かって、そぎ落としていく。その中で要らないものに気が付いていく、舍てていくという作业をする中で、いかに今までの自分が「インチキ」で「かっこ悪い」か、「弱虫」で「ダサい」のか、今度はそんな自分に気付いていくというか、ありのままを认めていくような。そういうことをしていたのがこの10年间だったと思います。だから、すごく楽になっていくんですけど、最初は恐怖もありましたね(笑)そういう、身にまとった铠兜を脱いでいくっていうのが。例えばボランティアで施设のおじいちゃん・おばあちゃんの前で歌うじゃないですか。仆は全国8,000个所以上回って、ボランティアでいろんな福祉施设、ホスピスだとか刑务所だとか、少年院だとか障害者の方の施设だとか、いろんなところに行ったんで。
2008年05月20日 00点05分
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おじいちゃん・おばあちゃんの前で、「俺はTOSHIだ」って言っても「お前谁だ」って言われちゃうわけです。全く人気だとか地位や名声だとかが関系ない世界ですよ。そういう自分がひけらかしていたものが全く通用しない中で、歌を歌う。なんか、それが超ビビるんですよ。もう本当に足が震えちゃうぐらい。怖くて、怖くて、しょうがないんですよ。 そんな「裸の王様」にされちゃうときに、「いかに自分って弱いのか」、「自分が情けないのか」、どれだけ「自分が铠兜で虚势を张ってきたのか」をすごく痛感しまして「本当に仆は弱い人间だな」と。おじいちゃん・おばあちゃんたちの前で、言叶一つ、普通に自信を持ってしゃべることもできない。地位や名声やモノを盾にしないと、人とも関われないような、「ほんと情けない人间なんだな」ということを痛感したんです。でも毎日毎日歌を歌う中で、何も知らないおじいちゃんが泣いてくれてるとか、おばあちゃんが感动してるとか、涙してくれるとか、刑务所で全员が泣いてくれていたこともありました。それは「有名だから」とか、「売れてるから」とかっていう、社会的なものが一切関系ない世界。そこで胜负するっていうのは、结局本当に心に响かないと。おじいちゃん・おばあちゃんには、闻く気も最初は无いかもしれない。言叶が理解できないかもしれない。耳も不自由かもしれない。だけど泣いてくれる、感动してくれる、「ありがとう」といって手を握ってくれる。それが本当に腰が抜けるぐらい感动するんですよ。もう「本当にありがとうございます」って気持ちにこっちがなる。「心からありがとうございます」って気持ちになる。だから「歌わせてもらってありがとう」・「闻いてくれてありがとう」・「手を握ってくれてありがとう」そういう、すごいこみ上げるような自発的なものが、本当に初めて、人生かけて初めて「俺は心の底からありがとうって言ったこと无いんじゃないかな」って思うぐらい、そういうこみ上げてくる気持ちが、出てきたときは、とにかく涙が、なんだか知らないけどポロポロポロポロこぼれてくるんですよ。そんな日々をこの10年间送ってきたんですよ。その経験が、今は自分の心の柱になっている。だからよく仆は「根っこ」というんだけど、やっと仆の心の根が生えてきた感じです。それまでは仆は、若くしてバーンと売れちゃって、もう自分自身、本当に傲慢だったし、「足の无いテーブルの上で踊ってる」感じ。 だから、すごく楽になっていくんですけど、最初は恐怖もありましたね(笑)すごく不安定だから、モノを求めるんですよ。だけど根が张ってくると、そういう自分が「モノ」と対する时、さっきも言ったように「モノ」って品质の良いもの、美しいもの、机能的に优れ、デザインもセンスのいいもの、それってすごく大事だなって思うんです。なぜなら、そういう美しい素材で作られた洋服、着心地の良いもの、肌に优しい、环境にやさしい、子供たちにやさしい服、无农薬の美しい食べ物、美しい空気、水、美しい家、美しい心を持った异性、美しい友达、心の美しいもの・・・纯粋なものが何よりも大事だって思うわけ。でも、それらを得るためには、お金も必要というところがあるんです。だから、そういう「良いモノを手に入れるって最高のことだな」って思うんです。品质の良いものって、ちゃんと作られてるし、丁宁に作られてるし、カッコ良いんですね。 だから、そういうモノって、「たくさん求めたい」って思うし、そういう「モノ」と共に「暮らしたい」って思うんですよ。だから本当の意味で、「成功したい」って思うんですよ。モノってすごく大切、心も大事。でも心だけでも、仆は何か、「せっかくこの时代に生きてる」んだから、どっちかっていうと人生を楽しみたい。だから素朴な生活や音楽もやってきたし、そぎ落としていくのも大切だし、心が満たされるということが何よりも大事だと思うけど、そういう「満たされた心を持ちながら、物质的な美しい「モノ」も両方あったら最高だな」って思います。本当の意味での「物质的な豊かさ」と、本当の意味での「心の豊かさ」、「両方持ってはじめて本当の豊かさなんじゃないか」って自分ではそう思うんです。だからなんか仆は、そういう本质的なものを创造していくような人生や仕事をしたいと思う。子供たちが见て「わあ、素敌な生活。あんな素敌な爱と梦とロマンがある、そんな生き方できたらカッコいいな」って「自分もそうなりたいな」って、そういう风に思ってもらえるような真の成功をしている大人にね。まあ仆はもうオッサンだけど、そういう大人になれたら良いなと思います。まあ今まで、ダーっとある程度の成功を収めて、恵まれて、そして今度はそれをそぎ落として、ダーっと降りていった自分が、今度は第3の新たな人生を始めていくと思うんですね。
2008年05月20日 00点05分
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*TOSHIさんの第3の人生の键になるものって何でしょう? T:自分で経験してきたこと、例えば、おじいちゃん・おばあちゃんたちの施设にお邪魔して、日々関わってきたことや、学校も何百校とコンサートで行きましたけど、その教育现场。虐待を受けた子供たちの施设、少年院、そういう「现场」で仆は本当に様々な境遇に暮らす、生きる人々と直接、接してきた。だから仆の场合はそういうダイレクトにやってこれた経験が今の仆の根っこになっている。だから20年前に経験したことと同じことを今経験しても、今はまた违うとらえ方があります。やっぱり自分で确かめていく、経験していく。ましてや自分は事実无根のことでも、いろんなバッシングを受けたりしてきたじゃないですか。そうすると正义が本当は正义じゃないって思うことだってある。白が黒に思われることもあるし、その逆もある。だから自分で経験をして、自分の感覚を磨いていないと「何を信じたら良いか分からない时代だな」って思う。情报操作だって、たくさんされてるし、そこには人间のエゴや私利私欲や、その人たちのある种の一定の方向性が必ず入っている。だから「中立にはなかなかものを见れないな」って自分のことも含めて思うんです。だから、すごく楽になっていくんですけど、最初は恐怖もありましたね(笑)だから「あまり地位や名誉や権威があったとしても、それだけでは判断できないな」と。「话半分で闻いておこうかな(笑)」と。それは人との関わり方も同じで、その人の角度ではそう思ってるかもしれないけど、参考意见にしか过ぎない。だから事前に人から闻いていたけど、実际に自分で接してみると全然违う人だったとか、あるじゃないですか。だから、少しものごとを引いて见たり、それは自分のことも含めて。歌もそうなんです。仆ね、自分が歌っている愈し系の音楽大好きなんですよ(笑)。自分が10年间やってきた音楽に自分自身が気持が入っちゃうんですよ。仆自身の心の伤とか葛藤のところとかを仆のプロデューサーが诗で书いてくれてるから。だから自分は歌ってて涙が出てきたり、なんかこう、思いが入り込み过ぎちゃう。 ただ、ロックだと少し心が离れて歌える。久しぶりにX-JAPANに戻って「I.V.」って英语の歌を歌っているけど、英语の歌ってあんまり感情が入らないんですよ。日本语じゃないから。英语が分からなければ、ダイレクトに心に响かないでしょ。だから割と淡々と歌えるんですよ。そうすると「良い」んですよ。歌もあんまり気持ちが入り込みすぎると、まああえて、入れ込む世界観もアリかもしれないですが。仆、自分のベストアルバムを作ったとき、歌い直したんですよ。それも初期のころに、自分が泣きながら歌ってるやつとか。それをあえて、今の仆が歌ったんですよ。プロデューサーには初期のころに「入り込み过ぎてて気持ち悪いよ(笑)」って言われたのが、今になるとわかりました。例えば変な话だけど、モノマネの番组とかあるでしょ。仆のモノマネとかしてテレビに出てくる人とかいるじゃないですか。あるいは、皆さんがカラオケにいって「TOSHIだ」って歌うとき、それをはたから见てると、「あ、かわいいな」とか「一生悬命やってるな」って思うでしょ。良い悪いは别として。そのような「ファン的な感覚」の时は、本人になりきって歌うんです。でもどこか変でしょ(笑)だからそういう感じで、気持ちが入り込みすぎちゃうと、见ている人はちょっと引いちゃいますよね。だからそんな感覚で、愈し系の歌を歌っていると、すごい仆は自分の曲が好きなために気持ちが入り込みすぎちゃっていて。それが10年ぶりに歌をとり直したら、ぜんぜん违うアプローチで淡々と歌ったら、どちらが良いかは闻く人によって违うかもしれませんが、自分の中ではすごい「楽」になっていて。まあ10年前と今が一绪だったら困ってしまいますが、やっぱり10年间経験してきた仆が、もうちょっと引けるようになっていて。
2008年05月20日 00点05分
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爱の歌を歌っているときは本当に10年経ってるけど、まだまだ歌えてないなと、それぐらい自分にはまだ「爱」が无いなって感覚で歌を歌っている。ただ、10年前は「俺は爱が无いなダメだな~(涙)」って。でも10年経って同じように「自分には爱が无いな」って。変わってないんだけど、ちょっとアプローチが违う。自分は今のほうが闻きやすい、歌いやすいかなって思うんです。だから何でもそのアプローチって少し一歩引いて、淡々としているのも、一つの方法としてはアリなんだなって。いろんな経験をしてくると、自分のスタンスができてくる。すると少し余裕をもって接することができるんだなって思うんですね。今回のX-JAPANのコンサートでも。まあ、直前までいろんなトラブルがあったんですが、自分の中では平常心だったんですよ。あんまり过度な期待もないし、「どうしてやろう」・「ああしてやろう」っていうのもない。だから别に、よくインタビューで「复活ってどうですか」って闻かれても、気负ってるわけでもないし、むちゃくちゃ楽しみなわけでもないし。10年前だったら、「こんなことしゃべんなきゃ」「こんなこと伝えなきゃ」「ここではこれを言わなきゃ」「ここではこんな风に叫ぶぞ」とか、结构台本决めてたんですよ。自分の中で。だけど今はあんまり考えることも无く(笑) だから、すごく楽になっていくんですけど、最初は恐怖もありましたね(笑)だから复活ライブ3日目のステージのときに、仆は皆さんに感谢を伝えたんですね。それは支えてくれた皆に。复帰して、本当に5万人の人たちが迎えてくれて。で、ここまで来るのに、「本当にこの10年间応援してきてくれた人のおかげだな」って、表面づらじゃなくて、本当に思ったんですよ。で、他のメンバーも10年间いろいろあって、「他のメンバーもいろんな人に応援してもらってきたんだな」と。だから他のメンバーを応援してくれた人にも、まあ彼らはステージ上でしゃべらないから、仆が代わって感谢を伝えました。自分も当然、おじいちゃんやおばあちゃんたちにも、子供たちにも。それでその时に仆がしゃべったことは、「世界中の子供たち。どんな辛いことがあっても、どんなにイジメられたとしても、绝対に死ぬな!」って、やっぱりそれがこみ上げてきた。 自分が逆境の中でも、どんなに嘘八百ででっち上げられて、大切なものまで夺われ、伤つけられても、泥を饮まされようが、泥の中に这いつくばろうが、绝対に前向きに生きてきた。そうやってやってきたんですよ。だから世界中の子供たちにも伝えたかったんですよ。そういう何か、「考えたこと」じゃないものを。そのあと「Forever Love」って曲を歌って、がーっと热いものこみ上げてきた。「作ったもの」じゃない。「死ぬな!」って叫んだ时、オーディエンスが「わー」っと何か地の底からわきあがるような、东京ドームが震えた感じがあった。今でもネット上でそのものすごい反响が続いてるんですね。だから自分の心の底から出てきたものって言うのは、たとえ结果がどうであっても良い。でも「作ったもの」とか「准备したもの」とか、「良いものに见せようとしたもの」だと、いつまでも人の评価が过度に気になるんですね。もちろん、自分の心の底から出てきたものでも全く気にならないわけじゃないけど、自分が言いたいことを言う、はっきり自分の中でこみ上げてきたものを伝える。なかなか生活の中でできないけど、それが出来たとき、すごいスッキリしてるんだなって。ゆえに、人にも伝わるんだっていうことが、何となく今回のコンサートで大きく感じたことなんですよ。误解があったとしても、やっぱり何か一発でひっくり返せるようなパワーって言うか、それが真実っていうのかわからないけど、そういうものがあるなと実感しています。
2008年05月20日 00点05分
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*「音楽」にはファッションやライフスタイルにも影响を与えるところがありますが、TOSHIさんの音楽が作り出したいファッションやライフスタイルはありますか? T:仆はどっちかっていうと「启発性」を持った音楽、メッセージを持ったオピニオンリーダーとして、そういうものが提供できたら良いなって思います。仆はいろんな経験してきました。もしかしたらこの仆のような経験って他の人になかなかできないかもしれない。仆はこの纡余曲折のある人生でいろんなものを见てこれたし、体験してこれた経験って贵重だと思う。でもこの贵重な経験を自分の中だけで収めておくわけにはいかないんですよ。だからジョン・レノンもそうだったかもしれないですけど、やっぱり、自分の心の底からの热いものをメッセージにしたり伝えたりしたい。なんかそういうこと、そういうのが仆はこれからの时代、重要だなって思うんです。そういうアーティストって今でもたくさんいると思う。もう时代が、愈しやエコという新しい时代に入ろうとしている。だからもっともっと启発的なメッセージを持つオピニオンリーダー的な、そういうものを音楽を通してやっていきたいなと、それにはいろんな危険も伴います。だからいろんなジャンルの音楽もそう、経済界、政界もそう、あらゆる仲间たちと共に、そのコネクションや人脉はこの10年间の中で作ってきたので、様々な人とコラボしながら、本当に新しい时代を作る。仆は音楽を中心にそんなことをやっていきたい。そういう音楽こそがメジャーになるべきだと思うし、本质的な事业こそ、真に成功すべきだと思うし、本质的な企业こそが上场すべきだと思う。
2008年05月20日 00点05分
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http://aucfan.com/pr/toshi02.html这里的!那什么,这是分批放出来的……目前就2回……啊,四楼起是part 2我忘标了= =
2008年05月20日 00点05分
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他上身可真短……也可以看到腿的比例很长……至于那扣子……怎么不干脆点全都不扣……这样用那片光洁的胸膛诱惑我简直是罪不可赦!!!抽他啊!!!!!另,这男人的胡子就是刮不干净么……
2008年05月20日 00点05分
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aucfan.com X TOSHI ~モノと、心と、豊かさと~15万人が热狂した「X JAPAN」复活ライブが终わり、TOSHIさんは今、何を语るのか。 aucfan.com独占で、2时间以上のロングインタビューにおこたえいただきました。
2008年05月20日 00点05分
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太MAN咯~~~~~~~~~~~~~~~诱惑………………他就是在诱惑我们…………
2008年05月20日 08点05分
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完了,我再仔细仔细看一会后,咋觉得咱们TO已经可以与PLAY BOY的形象画等号了,咋越来越华丽的感觉了呢,不是单纯穿着的原因,而是看见的时候整体散发的感觉。。 哎。。。。。 _________________________________________________________这才是天秤座的真本性……真我……真面目……=_=他现在在台上也总是习惯性的沾花惹草……8晓得某Y能忍他多久
2008年05月23日 08点05分
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aucfan.com X TOSHI 特别ロングインタビュー 第3回____________________________________________________ TOSHIさんが音楽に启発性を込めていこうと思ったキッカケは何ですか? ミニコンサートのボランティアを始めたのが2001年なんですね。2001年のお正月から始めたんです。そこから1年ぐらい経った时かな。栃木県の仆の事务所がある那须の福祉施设に行った时に、仆のミニコンサートが终わった后、一人のおばあちゃんが、仆の腰のところにずっと抱きついて离れないんですよ。で、「もうおばあちゃん、食事の时间だから、离れてさ、おばあちゃんご饭食べないといけないでしょ」って言ってもずっとくっついてるわけです。もう半分「うっとうしいなぁ」と思ってましたが(笑)でも、おばあちゃんがずっとくっついてくるわけ、で、何かその时になんか「あ~」と思ったわけです。仆は人と接するときに、いつも凄い隔たりを作っていて。ボランティアをやって人が感动していても、なんか自分から、その人のところに入っていくとか、人と接してても、その人に飞び込んでいくとか、そういうことができない自分でいたんですよ。すごい心を闭ざしている。すごい「人」が怖いんですよ。だけどそのおばあちゃんのような、自分には「相手に飞び込んでいくような信頼感が无いな」と。自分が隔たりを作って、人のせいにして文句を言ってたり。自分で「ボランティアだ」ってコンサートをやっておきながら、いろんな文句を自分の腹の中で言ってたり、いろんなことを自分の中で言ってるんですね。もう终わらないですよ。いつもいつも。感动もあるんですけど、都合が悪くなると文句もあるんですよ。だから、「自分で选択をしてるくせに、何で俺は文句ばっか言ってんのかな」って。「どんな感动があったって何か文句が言いたいんだな」って。なんか自分の中でつべこべつべこべ言ってたんです。だから人前でいい颜してて、もし自分の心を人に见られたら、とんでもないなと・・・(笑)特にそういう、「人との隔たり」が。自分は愈しの歌を歌いながら、すごい隔たってるんだなって。おばあちゃんがくっついてきたその时に、すごい思いました。で、その次の施设から「とりあえず自分から相手に入っていってみよう」って思ったんです。だからその时から自分から、気持ちだけの问题なんですが、相手の中に入っていったり、っていうことを少しずつ始めたんです。そうすると、割と人って、本当に物理的に抱きしめてくれるってわけじゃないんですが、そういう相手への気持ちが出てきたときに、そういう気持ちで答えてくれる。「人ってこう、意外になんか信じられるんだな」って。おじいちゃんやおばあちゃんだけじゃなく、例えば経営者の大先辈たち、叩上げの社长さんたちとかも。自分は経営者としてはまだまだ未熟なんで、本当にペーペーなんですけど(笑)でも「この人にお愿いしたいことがある」にも関わらず、「こんなこと言ったら変に思われる」とか「嫌われちゃうかな」とか。
2008年06月16日 16点06分
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level 7
本当は頼みたいことがある、本当は伝えたいことがあるけど、言えないことがたくさんあるんですね。でもある时、意を决して、お愿いをしたことがあるんですね。すごい仆にとっての「突破」だったんですよ。それは「自分のことを支援してほしい」というお愿いなんですが、でもなんか「変にうがって见られるんじゃないか」「疑いをもたれてるんじゃないか」って思うんですね。まあ自分に言い訳をしようとするんですよ。「お愿いをしないようにしよう」と。でもそんな自分のつべこべを「うるせぇ」っていって外して、飞び込んでお愿いしたんです。「お愿いします」って真に人に头を下げるのもできない人间なんですが・・・だけど人に心から「お愿いします」って言ったときにサポートをしてもらえたり、可爱がってくれたり、协力してくれたり、たくさんそれが起こったんですね。TOSHIでも自分が逆の立场だったらそうだと思うんですよ。なんか若手の経営者がいて、自分の后辈がいたとして、そいつが真剣にお愿いしてきたら、「自分ができることだったら、サポートしてあげたいな」とか、「何か人とつなげてあげたいな」とか、真剣に言われたら、飞び込んでこられたら、こっちも受けざるを得ないなって思うんですよ。だから多分、それが信頼感だったりするのかと。もちろんお愿いしてもダメと断られたり、叱られたりするとだってあるし、やりすぎて関系を壊しちゃうことだってあるんだけど。でも仆の性质上、いつもくよくよしたり、言いたいことが言えなかったりするんですよ。腹にためる・・・だからそうじゃないことをするときに、初めてそこで「突破」が生まれる。そうすると、イエスでもノーでもはっきりするんですよ。人に仆は信頼感が无かったので、当然自分のことも信頼できなかった。でもそこを突破して思い切って飞び込んでみると结果が出るんですよ。そうするとスッキリして次に进めるし、仕事もはかどるんですね。だからいつもスッキリしないまま、自分の弱虫さ加减のまま、そのためにいつまでもグジュグジュして、结果が出なかったり、何か、うやむやなままだったり、そういうことが非常に多いなって。自分が「突破」してない。いつもの「子供のころからの、恐れから腹にためたまんまのときは结果が出ないな」って。そのためにすごく时间やいろんなものを浪费している。结果なんて早く出たほう良い。イエスでもノーでも。それってでもすごい仆にとって「突破」だなと。人によって违うと思うんですよ。何でもズケズケ言える人は逆に言わないようにするとか。仆みたいに言えない人はどんどん言うとか(笑)仆の音楽プロデューサーはMASAYAという方なのですが、一番最初にたまたま手にしたCDが「爱しき生命の诗」っていうタイトルだったんですよ。で、当时仆はロサンゼルスに住んでて、ヒーリングとかスピリチュアルとかの本场にいても、なかなか本当の愈しの音楽っていうのが见つからなかったんですね。たまたま日本に帰ってきた时にCD屋で「MASAYAヒーリング」っていうでっかいコレクションがあって、その中で一枚取ったのがそのCDでした。
2008年06月16日 16点06分
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