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长山 蓝子(ながやま あいこ、1941年6月21日 - )は、中国内蒙古自治区フフホト生まれ、静冈県三岛市育ちの女优。身长159cm、体重50kg。血液型はO型。父は同盟通信社记者。成蹊小学校・中学校、静冈県立三岛北高等学校卒业。 芝居好きの父に连れられて剧场に通っているうちに俳优を志す。 俳优座养成所に12期生として入る。 同期に山本圭、中村郁夫、樫山文枝がいる。 昭和38年养成所卒业と同时に剧団新人会に参加し、剧団朋友に至る。 初舞台は昭和38年「オッペケペ」。 昭和42年ギャラクシー赏を、昭和52年名古屋ペンクラブ赏を受赏。 テレビ、舞台、映画に幅広い活跃を続けている。 趣味は読书、旅行、バードウォッチング、ガーデニング。 「わがババわがまま奋斗记」で平成11年度文化庁芸术祭大赏受赏。
2008年02月02日 05点02分
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■ 16年目に入った「渡鬼」(わたおに)シリーズ 长山蓝子さんは、平成2年から続いているTBSテレビの人気ドラマ「渡る世间は鬼ばかり」で放映开始から长女・弥生役を好演。この春からはシリーズ第8作がスタートする。 「贵重な経験だと思います。一つの家族の物语ですが、だんだんと家族が成长して、子どもができて、孙ができて・・・。 家族の成长とともに、出演者もどんどん増えていくわけですよね。まるで、一本の干から枝が伸びて、叶が茂っていくようなドラマです。 一年収录して、一年お休みというサイクルなのですが、毎回、新シリーズでスタッフ・出演者が再会するのが楽しみなんですよ!」
2008年02月02日 13点02分
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■ 幼少期に 中国からの引き扬げを経験 长山さんは昭和16年、新闻社の支局长をしていた父亲の赴任先、中国最北端の内蒙古自治区(フフホト)で生まれた。 折しも太平洋戦争が勃発。ものごころついたころには新强(ウイグル自治区)までが前线になり、妇人や子どもたちは北朝鲜・平安南道のチンナンポへと疎开した。 「その直后に终戦になりましたが、しばらくはそこで抑留されていましたので、父と离ればなれで、母は、私と生まれたての弟を连れて、たいへんだったと思います」 その后、日本に引き扬げたが、戦后の混乱のなかで、食粮难も経験した。 「庭に植えたジャガイモとか、おイモのツルなんかを食べたりして、ひもじくてね…。 私でさえそうなんですから、もっと年配の世代の皆さんは、相当なご苦労を経験されたと思います。だから、そうしたすべての时间を生き抜いて、いまの时代をこうして生きていることって、すばらしいですよね」
2008年02月02日 13点02分
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■ 舞台で演じることが 生きがい 高校卒业后、「舞台がやりたくて」、俳优座养成所へ。テレビや映画にも多数、出演しているが、やはり自分の立脚点は舞台だという。「剧団を続けてくるのはたいへんなんですけど、生きがいでもあるんです。生きがいっていうと、すごく“楽しくて、うれしくて”というイメージがありますけど、たいへんなことや、苦しいこと、枷(かせ)もすべて含めて、生きがいになっているのかもしれませんね」 剧団朋友が舞台化した「わがババわがまま奋斗记」(原作/门野晴子『寝たきり婆ぁ猛语录』『寝たきり婆ぁ、たちあがる!!』)では、こうした芝居に赌ける情热と确かな演技力が光り、平成11年度文化庁芸术祭大赏を受赏した。 「ちょうどあのときは、介护保険制度が立ち上がった年だったんです。まだ、介护というものが、とてもあいまいだった时期でしたから、介护する方もされる方も迷っていました。お嫁さんが一人ですべての责任を抱えてがんばってしまったら、つぶれてしまうということが、いまほど社会的に认识されていなかったころですね」 そんなとき、主人公が「やってられるか!」といったセリフを豪快にさけんだり、ひたむきになる反面、ずっこけたり、おかしかったりする人间のリアルな姿をコミカルに演じたこの作品は、まさに観客の心を惹きつけた。 本当の介护----思いやりとかいたわり----というのは、それぞれの主体性を重んじながら、本音でぶつかり合ったり、支え合ったりしていくものなのだとの思いが込められていた。 「観てくださったお客さまが元気になって帰っていかれる作品でした。芝居を通して、介护のパイオニアのようなことができたと思います」
2008年02月02日 13点02分
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■ いい芝居は 细胞を活性化させる! 舞台の魅力をひと言で言うと----。「演じる侧とお客さまが、一绪の空间を共有して、一绪に场を作っているという一体感でしょうか」 剧场というのは、1,000人の席があったら、1,000通りの生活を背负った観客が、1,000の家庭の扉を开けて剧场へとやってきて、席に着く。幕が开くまでは、朝、子どもとケンカしたこと、仕事のこと、今夜の食事のことなど、头にも心にもいろんな生活感を引っ张っている。 しかし、幕が开いてしばらくすると、観客一人一人の気持ちと舞台上の役者の気持ちが通い合ってくるという。 「お客さまと、お互いの呼吸が一つになる瞬间があるんです。1,000の気持ちが一つになったことを感じます。ですから、お客さまが参加して初めて、よりよい空间が作れるんですね。私たち演じている侧を、お客さまが盛り上げてくださることで、芝居のテンションも上がります。毎日、同じことやっているようでも、その日のお客さまによっていろいろな交流があるんですよ」 长山さんが舞台を大切にするのは、こうした一体感がなによりも大好きだからだという。これこそが、芝居ならではの感动なのだろう。「お芝居を観ることは决して受け身ではないんですね。头脳とか、心とか、细胞が活発に动くから、元気になる。ですから、いい芝居のあとは、お客さまがピカピカに辉いて帰られるんですよ」
2008年02月02日 13点02分
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■ すてきに年齢を 重ねたい! 长山さんは「自分より年上の世代の方々にはとても敬爱の念を抱いている」という。それは、芝居の世界において、いまもなお现役で、若々しく活跃している先辈たちの模范の姿を目にしたり、ご主人の両亲をはじめ、すてきな年齢の重ね方をしている周囲の人々から受けている影响が大きい。 とくに、ご主人の両亲とは、年に一回は一绪に旅行をしたり、気候のいい时期には“山の家”と呼ぶ别荘に招いたりと、いい亲子関系を筑いている。 「歳を重ねていくことは、肉体的にはシビアな现実と向き合わなくてはならないけれど、それだけ深みのある时间を过ごしてきたということですから、ぜひとも夸りを持っていただきたいですね。 ゆめジャーナル読者の皆さんも、いいお芝居をたくさん见て、元気を出しながら、これからの时代、ますます自信を持ってがんばってくださいね!」
2008年02月02日 13点02分
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●プロフィール长山 蓝子さん(ながやま あいこ) 昭和16年中国生まれ。终戦とともに引き扬げ、东京へ。 高校卒业后、俳优座养成所(12期生)に入り、卒业と同时に剧団新人会に参加(平成6年から剧団朋友へ)。 初舞台は昭和38年「オッペケペ」。 昭和42年ギャラクシー赏受赏。 昭和52年名古屋ペンクラブ赏受赏。 「わがババわがまま奋斗记」で平成11年度文化庁芸术祭大赏受赏。 テレビ、舞台、映画などで幅広く活跃。
2008年02月02日 13点02分
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