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『呉清源 极みの棋谱』 チャン・チェンちなみに仆は、今も囲碁が下手なんですよ(笑) 故エドワード・ヤン监督の『枯岭街少年杀人事件』で鲜烈なデビューを饰り、ウォン・カーウァイ监督の秘蔵っ子としても知られるチャン・チェン(张震)。端丽な容姿に加え、确実な演技力と存在感は、同年代の俳优の中でも明らかに突出している。今回は、『赤壁』(ジョン・ウー监督)の撮影の合间を缝って、本作プロモーションのため、来日してくれた。 Profile [チャン・チェン]1976年、台北生まれ。父亲は名优、チャン・クオチュー。14歳で故エドワード・ヤン监督の『枯岭街少年杀人事件』(91)に主演し、冲撃的なスクリーン・デビューを饰る。その后、次々と话题作に出演し、アジア映画の若手俳优のトップとして世界中から注目を集める。主な出演作に、『ブエノスアイレス』(97/ウォン・カーウァイ监督)、『グリーン・デスティニー』(00/アン・リー监督)、『2046』(04/ウォン・カーウァイ监督)、『百年恋歌』(05/ホウ・シャオシェン监督)等、また韩国の鬼才キム・ギドク监督作に主演した『Breath』(07)の公开も待たれる。
2007年12月08日 05点12分
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Q1.まず、実在の人物で、今もご存命でいらっしゃる天才棋士、呉清源さんを演じるにあたり、チャンさんが大切にした“心”とはなんだったのでしょうか? おっしゃる通り、呉清源先生は今もご存命で、そして先生を知っている方はたくさんいらっしゃるわけですし、どういう风に演じたら良いか、非常にプレッシャーを感じたのは事実です。とにかく仆の演技が少しでもご本人に近づくよう、気をつけました。人物像を作りあげていくにあたっては、田监督に助けられましたね。衣装など、见た目もご本人そっくりに作りこんでくれましたし、あと演じる上では、呉先生は寡黙なんだけれども、実は非常に亲しみやすい方でいらっしゃいます。そういう部分を表现して近づけていこうと、监督と话し合いました。 Q2.それまで囲碁の経験もなければ、呉清源さんについてもあまりご存知なかったと闻きましたが、囲碁とは无縁だったチャンさんが、この作品への出演を决めたのはなぜですか? 初めて监督とお会いした时に、呉先生の话を色々伺いました。仆よりももっと上の世代の方には呉先生はとても有名ですが、仆はほとんど知らなかったので、その后、自分でもリサーチをしようと、先生の书かれた自伝を読んだんです。そしてとても感动しました。当时、先生にとって、生きる环境はとても厳しかったはずです。そして今の世の中にあっても、先生のように纯粋な人を见つけるのは难しいでしょう。とにかくその自伝がきっかけで兴味をもち、お引き受けしたのです。ちなみに仆は、今も囲碁が下手なんですよ(笑)。Q3.当时の呉清源さんのファッションは、メガネや和装などとても特徴的で、今见てもおしゃれだと思いましたが、この作品のためにワダエミさんが作った衣装はいかがでしたか? 和装のシーンが多いので、自分としてはとても新鲜でした。ワダさんとも色々お话をしたんですが、呉先生の心情の変化に合わせて衣装のカラーやトーンなどに微妙な変化を织り込んでいったそうです。そういった细部へのこだわりが、映画全体に流れる诗的な雰囲気の一要素となっていると思います。ワダさんは、和服以外の中国服などもリサーチをなさったそうです。呉先生は、当时ご自分で服をデザインしたり、着物の家纹もご自分でお书きになっていたそうで、そこらへんも踏まえた上で、衣装を作られたと闻きました。
2007年12月08日 05点12分
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Q4.先日亡くなったエドワード・ヤン监督を始め、これまでウォン・カーウァイ监督、ホウ・シャオシェン监督など、铮々たる监督とお仕事をなさってきたチャンさんですが、今回、田壮壮监督との初めてのお仕事はいかがでしたか?また映画を拝见し、一人の人间の心の宇宙を表现するのはとても难しかったのではないかと思いましたが、どのように役作りを行ったのか教えてください。 今回仆がまず感じたのは、今まで出演してきた映画とは、雰囲気がまったく违うということでした。大陆(中国本土)の监督と仕事をするのは初めてだったんですが、今でも覚えているのは、初めて监督とお会いした时、ちょっとだけしか话さなかったのにまるで以前から知っているかのような亲しみを感じたことです。ご縁のようなものを感じましたね。田监督は、俳优に细かく演技をつけることをせず、生活に溶け込む感じで自然に役に入らせる方法をとる方です。もちろん脚本や人物については、常に监督と话し合いますけど、议论を重ねた上で撮影に入ると、その中で暗黙の了解みたいなものが生まれるんです。カメラマンともそういうやり方でしたね。その点も、田监督独特な作り方だと思いました。最初にお会いした段阶で、监督は仆を起用すると决めてくださったそうですが、日本语のセリフが多いことや、あの年代のことをあまり知らないなど、役作りの上で难しい点が少なくなかったので、撮影前に监督と日本に行ったり、その后も1ヶ月程、一人で日本に滞在したんです。毎朝起きて囲碁の练习をし、午后になると自伝を読み、夜、代々木あたりまでジョギングするという、とてもシンプルな生活でした。囲碁というのはそもそもとても静かなものですが、教わる前に、毎回30分ほど正座をし、瞑想して、心を静かにする练习もしましたよ。そうやって役作りに取り组みました。 ――日本での生活はいかがでしたか?外国で生活するというのは、まず気分がどうしたって违いますよね。滞在中に日本人の友达も大势できました。そう言えば、面白いことがあったんです。ある日、ジョギングの最中に细い小道に入ったら、台湾出身の囲碁の名士で、呉先生のお弟子さんにあたる林海峯さんのお宅を偶然见つけたんです。表札がかかっていたので分かったんですが、「え?ここが林海峯さんの家!?」ってびっくりしました。「仆の弟子じゃないか!」ってね(笑)。后日、ご本人とお话をする机会にも恵まれましたが、あれは本当に偶然でしたね。Q5.囲碁の道を追求し、ひたすら究めるという呉清源さんの生き方は、チャンさんの役者への姿势とも相通ずるのではないかと思ったのですが、チャンさんにとって“演じる”とはどういうことですか。また、そもそも役者になったきっかけは何だったのですか? 一言では言い切れない、难しい质问ですね(笑)。恐らく役者それぞれ、求めている道は违うと思います。例えば、普段の自分とは违う侧面を表现したり、常に违う役に挑戦することを追及する役者もいるでしょう。仆自身について言えば、父はプロの俳优でしたが、仆は専门的な演技の勉强をしないまま映画の世界に入ったんです。最初の何作かは、ただ楽しかったのでやっていたという感じで、演技とはなにか、芝居とはなにかを模索していた状态でした。たまに、もうやりたくないと思ったこともあったくらいです。そんな状态だったので、観る人には仆の演技ではなく、作品そのものを认めてもらいたいと思ってやっていました。今はもちろん演技に対して情热をもっています。そして、撮影の段阶から楽しみ、自分自身満足できることが大切だと思っています。それが自分の生きる活力になると思うので。 Q6.后、一绪に仕事をしたい方はいらっしゃいますか? 考え出すと、キリがなくなりますね(笑)。ただ仆は、基本的にオファーがくると、脚本を読んで决めているんです。机会があればもちろん色んな人とお仕事をしたいですが、常にオープンに、これまで一绪に仕事をしたことがある人でもない人でも、おもしろそうな作品だったら出演したいですね。
2007年12月08日 05点12分
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编辑部:『ブエノスアイレス』から大好きだった“生”チャン・チェンは、もう言叶を失くすほど端正で美しかったです。インタビューは8月の夏の盛りに行われたんですが、冷たいお水が出されると、「お汤にしてください」と変えてもらっていたチャン・チェン。そう言えば私の中国人の友达も、うちに游びに来ると「あったまって体にいいから」といつもお汤を饮んでいたのを思い出しました。(取材・文・写真:星野ロカ)
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