【转贴】杂志<R25>最新期:江口的访谈(07-02-01)
江口洋介吧
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江_小_鱼 楼主
すべての道は原点に通じる- 江口洋介 (2007.02.01) えぐち・ようすけ1968年1月1日、东京都生まれ。87年に映画『湘南爆走族』で主演デビュー。以後、『东京ラブストーリー』『101回目のプロポーズ』『爱という名のもとに』『ひとつ屋根の下』など、90年初头に出演したフジテレビ系のドラマで圧倒的な人気を获得。その他の出演作に『救命病栋24时』シリーズ、『白い巨塔』(ともにフジ系)、『逃亡者 RUNAWAY』(TBS系)など多数のドラマに出演。その一方、映画にも积极的に出演し、『スワロウテイル』『竜马の妻とその夫と爱人』『凶気の桜』『戦国自卫队1549』などの代表作が、また今後の公开待机作に『アンフェア the movie』『凭神』が控えている。最新作『となり町戦争』(渡辺谦作监督作品)は2月10日(土)より、新宿ガーデンシネマほかにて全国 ロードショー。www.kadokawa-herald.co.jp I
2007年02月01日 09点02分 1
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江_小_鱼 楼主
长髪をトレードマークに飒爽と二枚目を演じ、ブレイクした90年代初头。演技派俳优としての地位を筑いた90年代後半。近年では医师役をはじめ、正义感あふれる男のイメージも强い。実は、この男にとってこれらのすべては、自分の原点であるフィールド上でのことではなかった。しかし彼は淡々とした语り口で、自信をもって语る。すべては出発点から今に通じている――のだと。地に足がついている人间ならではの言叶である。I
2007年02月01日 09点02分 2
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江_小_鱼 楼主
「クリーニング屋の兄ちゃんにエリート医师、戦国时代にタイムスリップする元自卫队员…それこそ今までいろんな役柄を演じてきましたが、今回の北原修路という役は“普通”。ものすごく普通の男ですね」映画『となり町戦争』で演じた北原修路を江口洋介はこう语る。ある日、町役场から届いた“となり町”との戦争の知らせ。北原は戦争遂行のため、役场の戦争推进室から特别侦察员に任命されるのだが、日常はなんら変わらない。“本当に戦争は行われているのか?”。ごく普通の男である北原は戦时下の実感が持てないまま、见えない戦争の恐怖に袭われていくのだ。「これが悪役ならね、これも面白い、あれも面白いで演技のチョイスが楽しくて仕方ないんだけど、今回の北原は真面目ともまた违う。やる気がないというか、なるようになるというか。ある种、のほほんと生きてる男が予期せぬ事态に巻き込まれていく姿が面白いので、ホント监督からは“何もしないでいいから”って。でも実はそれが一番难しいんですよ。つい、いろいろやりたくなっちゃいますからね。で、またやってる方が“役を演じている”みたいな充実感があるワケ(笑)」确かに、演じるうえで、普通であることほど难しいことはない、と思う。“普通”であることの意味を考え始めた时点で、もう“普通”ではなくなるからだ。だからこそ、今回は役作りの方法も…。「1ヵ月间、四国の方で撮影していたんですよ。なんとなくのほほんとした田园风景を眺めながら撮影が行われていくから、时间の経ち方も东京とは违う感じがするワケです。実际に北原が生活してたら多分、こんなふうにボーッと生きてるんだろうなと(笑)、そこにいるだけでつかめましたからね。头で考えるというよりは、身体と皮肤で感じて、役に投影させてましたよ」実は、江口は今年で俳优生活20年を迎える。そして、その20年の间で今回のようなアプローチで役作りするのは初めてだった。懐かしそうな眼差しを浮かべて彼は言う。「役者としての原点に戻った気がしますね」と。I
2007年02月01日 09点02分 3
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江_小_鱼 楼主
江口洋介 ロングインタビュー映画の撮影现场と新宿…それが役者の原点87年、19歳のときに映画『湘南爆走族』で江口洋介はスクリーンデビューを饰った。だが、芸能界との接点はその前からすでにあったという。「たまたま映画监督の助监督やってる人と知り合いになれて、映画の撮影现场を见せてもらったりとかしたんですよ。そのうちにその现场で车止めの仕事とかもしたりして…。结局、ちょこちょこ雑用みたいなことをやりながら、制作现场の雰囲気を味わっていたんですね。今思うとけっこうラッキーだったんですけど、そんな経験をさせてもらってるうちに、今まで自分がテレビで観て想像してた芸能界とはまったく违うぞ、と。これはちょっと面白そうだなと思ったのが、芸能界に入るきっかけといえばきっかけですよ」 単なる憧れだけで芸能人になった人と、江口との违いはここにある。スカウトやオーディションといった派手な道を通っていないことで、逆に、地に足がついていたのだ。「芸能界は华やかな场所だと感じなかったから今があるんじゃないかな」と江口は语るが、つまりはそこに集う人たちの体温を皮肤で感じていたのだろう。「そのころよく新宿の饮み屋にみんなで集まってたんですよ。そこでは、いろんな映画人と知り合う机会がありました。あの松田优作さんもいたぐらいです。なかにはおっかない监督もいたけど(笑)、そういう人たちから“お前も顽张れ”なんて励まされたりとか。要はみんな映画に対していつもギラギラしてて、いつも热くなってたんです。そんな场所に20歳ちょい前からいましたから、いわゆる“芸能界”みたいな感覚はこれっぽっちもなかったと思う。あの当时、そこでいろんなアドバイスをもらったことが、今でもすごく财产にはなってます。だから、仆の原点は映画の现场、そして新宿の饮み屋、この二つでしょうね」I
2007年02月01日 10点02分 4
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江_小_鱼 楼主
この浮足は违う。戸惑った人気ドラマの现场 ちょうどそんなころだったのだ、江口が映画『湘南爆走族』の主役に抜擢されたのは。しかもそこで演じた役名が本名と一文字违いの“江口洋助”。この类似性はまったくの偶然なのだが、当时は大きな反响を呼んだものである。「“湘爆”はなぜか自分も好きで読んでたんですよ。で、この役は“俺しかいないな”と。役のイメージができてる瞬间みたいなものがあって、オーディションに挑んだっていう覚えがあります。ま、仆の名前が役名と同じだったから、选ばれたというラッキーな部分もあったと思いますけど(笑)」しかし、映画で一度主役を张ったからといって、それだけで一人前の役者としてやっていけるワケではない。すでにこの世界を熟知していた彼がこう思うのは当然だった。「第一、あのころはカメラの前に立って何か演技するっていうことに异様な恐怖感がありましたよ。それはやっていくたびに克服してきましたけど、やっぱり、当时、周りにいたスタッフがよかったんでしょうね。“お前、一人でオーディションに行ってこい”って言われて、オーディションに行ったりとかもしましたよ。何度も落とされたりしましたけど、そのたびに“忘れないぞ”と思って、悔しさを噛みしめてましたしね」当时、思っていたことはただひとつ “いつかやってやる”。“湘爆”以降は当时の若手俳优らしく、刑事ドラマの新人刑事役で走りまくったりもした。别の刑事ドラマでは殉职したこともある。自分を信じ、少しずつではあるが役者として前进する日々。そんな江口に転机が访れたのは91年1月のことだった。あの大ヒットドラマ『东京ラブストーリー』に出演したのだ。「その瞬间にすべて环境がガラッと変わりましたよ。周りにいる人间の数も変わりましたし(笑)。いわゆる“芸能界”という言叶が非常に似合う状况になりましたよ」この直後には『101回目のプロポーズ』、翌92年には『爱という名のもとに』と话题作への出演が続いた。当然、人気は右肩上がりする。そして迎えた93年4月、ついに连続ドラマで主演を果たすことに。『ひとつ屋根の下』――演じた柏木达也は“あんちゃん”の爱称で多くのファンに亲しまれた。客観的にみればこの3年间が江口洋介にとって重要なタームだったといえる。しかし、本人の见方は违った。「あの当时はトレンディドラマの名残で、全般的にテレビドラマは高视聴率で、盛り上がっていた。そういう部分にみんな憧れていたんでしょうけど、それは“バブル”なんですよ。20歳のころに映画の现场を见ていた仆からしてみれば、“この浮足は违う”と。“オレのはこの流れの中にいて、いいのか?”っていう思いもありましたから。だからこそ、その前の段阶が自分の中ではすごく大きかった。仆にとってポイントになった作品はやっぱり『湘南爆走族』なんですよ」I
2007年02月01日 10点02分 5
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江_小_鱼 楼主
江口洋介 ロングインタビュー客観的な视点を求めて、原点に回帰する とはいえ、『ひとつ屋根の下』などのドラマが评価されたことで、一気に主演俳优としての地位を确立したのも事実。ヒットメーカーと呼ばれる制作者とも出会った。この役をやったから次はあの役をやろう…いろんなものを形にしていこうという欲も出てきていた。オーディションに落ちまくった日々はすでに远い过去になっていた。「今思えば、91~95年ごろはドンドン突き进んでいて、ほとんど休みなくドラマの撮影をしてました。だけど、27歳のときかな。『ひとつ屋根』の“あんちゃん”のイメージでしか见られていない自分に気づいたんです。で、ふと“このままじゃヤバイな”って思ったんですよ。今までとは违う自分をアピールしたいという欲が出てきたんだけど、気づけばそれができないっていう壁にぶち当たってました」状况を打破するために、演技のパターンを増やしてみたりもした。だが、一つ壁を乗り越えてもまた次の壁が迫って来る。结局、解决策は“客観的な见方で判断すること”しかなかった。「自分の演じる役だけでなく、自分自身の立ち位置を一歩引いた目线で眺めてみたり。で、客観的に见れば见るほど“自分が何をしたいのか”とか、また悩むワケです。そうなったら、刺激を求めていろんな人に会ったりとかしてね。とにかく他人の客観的な意见やアドバイスを闻きまくってました。まるで、いろんな映画人からアドバイスを受けた、若き日の自分と同じでしたよ。つまりは困って困って、无意识のうちに原点に回帰していたんです」30歳手前で悩みに悩んでいた自分。だが、そこを乗り越えた今、新たなスタンスで芝居に取り组む自分がいる。「どれだけ违うものをやるか、あるいはどれだけ自分に近いキャラクターをやるか、それからどれだけ自分というものをアピールしていくかということ、あとはまるっきり违うストーリーの中に溶け込むっていうこと。最近はいろんな考え方で、日々、一つの台本と格闘していますね」 インタビュー编集後记あの『ひとつ屋根の下』のパート1がまさに25歳のとき。俳优・江口洋介としては记念碑的作品だが、本人的にはそれからが大変だった。「そこで评価が确立してしまったから、“じゃあ次は何をやろうか”って悩んだワケ。当时は音楽もやってたけど、1回、役者としての形を固めたいなとも思ったから、音楽活动は休止するかなって。自分でも揺れてましたよ」。その一方、売れたことで次々と仕事のオファーは来る。日々、仕事をこなすだけで精一杯の时期だった。I
2007年02月01日 10点02分 6
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出道二十年仍然屹立不倒, 很难得啊, 希望江口继续努力!
2007年02月01日 12点02分 8
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江_小_鱼 楼主
江口的话大意:91~95年的时候几乎没有休息地不断拍电视剧。但是在27岁的时候,发现自己除了『一个屋檐下』的“大哥”以外,没其他令人印象深刻的角色了。我想:“再这样下去的话就糟了.”于是产生了突破自己的念头.为了能够改变现状,我试着提高演技.跨过一个坎还会有下一个坎,最后决定采用这个策略:用客观的方法判断问题I
2007年02月01日 16点02分 10
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小鱼的日语进步了哟~~看不出小嫩江就已经是那么自信的人,对于戏剧严谨谦虚,但是对自身的能力毫不怀疑,人就应该既自信又谦虚才能进步呀。谦虚的就是,江口说自己除了大哥以外没有其他角色了,我想《同》剧在日本的影响力大概真的比在国内大的多吧,毕竟中国这里还念着很多其他经典角色和他参加的电视剧,他自己都忽略了~~~不过某人的说法还又变的自信了,试着提高演技,我没见那个演员能一赌气演技噌就上去的,这需要很大的天份,后天努力演技变好的实在太少了,我觉得江口的表演在《同》剧时期就已经很成熟了,这种超难拿

的角色多一分少一毫味道都会变,所谓提高我觉得他是改了一下戏路,而演技已经很纯熟了。照片没准是刚跨入07年时拍的,有点像非洲之行那时,和新片发布会上的头发长短完全不同。I
2007年02月01日 17点02分 12
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小鱼君辛苦了! 谢谢!!"看不出小嫩江就已经是那么自信的人,对于戏剧严谨谦虚,但是对自身的能力毫不怀疑,人就应该既自信又谦虚才能进步呀。"这正好说明为何江口能达到现在的成就和"出道二十年仍然屹立不倒"呀。我最欣赏有自信的人了,就是因为"对自身的能力毫不怀疑",才不会花时间精力作无谓应酬或去打那些乱七八糟的交道吧!江口的自信气质在台湾宣传《诡丝》的记者会上表露无遗,一颦一笑、一举手、一投足也充满魅力,尽顕明星光芒!!达也时期的江口演技已经很成熟了,但仍然有表演痕迹,到了进藤、龙马时期,演技已经完全收放自如了,(当然这只是我的主观感觉~)跟国内不同,在香港,江口最为人熟悉的代表作仍然是《同一屋檐下》,令人津津乐道的温情日剧 :)I
2007年02月02日 04点02分 13
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江_小_鱼 楼主
哈哈,谢谢夸奖~其实我就看的懂几句而已,其他的靠猜~原来香港那边江口最深入人心的角色是大哥啊,我觉得内地最熟悉江口的三上和纯平弟弟,其次才是大哥,而在日本就是进藤啦,虽然介绍江口时每次都会把大哥放在第一位,但是真正最受欢迎的是进藤医师,很多日本观众这么认为~
2007年02月02日 05点02分 14
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《救命病栋》在香港只播过第二部,而且近年日剧在香港的受欢迎程度大不如前了,播放的时段又冷又没什么宣传,看过进藤的人应该不算多吧。值得高兴的是无意中跟朋友提起进藤,他们也会说那个很少笑的医生啊,好cool! 好有型! 普遍看过的人都同意江口是愈老愈有男人味,愈老愈型!I
2007年02月02日 05点02分 15
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江_小_鱼 楼主
很少笑的医生,呵呵,冰王子大哥是令人感觉平易近人的很生活化的角色,他会为了家里资金短缺而发愁,会为一个布丁跟弟弟吵架,会为妹妹被欺负而痛心,到头来使弟弟妹妹们幸福了而自己却一无所有的大好人. 进藤是难以接近,而需要人们去仰视,崇拜的角色
2007年02月02日 05点02分 16
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我觉得香港本身也很注重家庭剧,中国人的家庭观念比较重,香港地方比较小,人流动性也很大,所以亲情的东西显得尤为珍贵吧,而且香港比较注重白手起家和草根精神,大哥身上都有这种感动点,还有兄弟意气手足真情,感觉上各个方面都很合香港的口味。在内地的话,因为《同》剧并没有正经的播放过,只有《东爱》真是一直播个不停,《同》还是从各种渠道进来的,电视上没演过,所以影响力要小一点吧。在日本的话,进藤因为是近年的所以观众记忆比较深刻,《同》比较太古老了,不过《同》的历史性地位是非常高的,日本人论资排辈也会把这部放在第一个,而且这部的收视率也是高出《救命》系列不少呀~江口的自信也是我觉得他和一般日本人不太一样的地方,他并不会虚伪的说什么这个戏我演的不好啦谁谁谁比我好这种话,而是很坦然的觉得自己演的好就是好,即使有需要进步的地方,但还是对自己很满意,和一般表面谦虚实质上谁都看不起的日本人性有所差别,从他的电视剧里也可以看到,他的人性光辉都是和这些人相抵触的。I
2007年02月02日 09点02分 17
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不清楚江口的成长背景,但见他那么喜欢西方的摇滚乐,估计他是比较崇洋的日本人(这里"崇洋"二字并无贬意,是指响往西方文化的一种情怀),西方的价值观较为著重个人主义,我们很少看见外国明星会故意说一些谦虚话,但这又并不表示自大嚣张,江口可能也是日星中较为崇尚个人主义的吧!比起那些在人前油嘴滑舌尽说虚伪话,却整天在人背後说坏话的人,我更欣赏江口这样坦率的艺人,明明觉得自己演得好,为何不能坦白告诉大家呢?I
2007年02月09日 05点02分 18
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嗯,是呀,这的确有些西方的味道在里面,欣赏自己并不代表就不谦虚,而且也不是闷骚型,喜欢就喜欢,很坦荡就好了,对于想法并不吝啬坦白感觉很真诚。
2007年02月09日 08点02分 19
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想请问什么叫做闷骚型呢? 不好意思,到现在还是对某些词语不很了解~
2007年02月10日 15点02分 20
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江_小_鱼 楼主
小穗所说的闷骚就是心口不一啦,比如明明觉得自己很棒却对别人说自己做的不好等等的假谦虚
2007年02月10日 15点02分 21
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